スペインに惚れました

10年暮らした愛しのスペイン私の独断と偏見に満ちた西方見聞録

青春のファミレス

ファミレスには学生時代とてもよくお世話になった。

授業をさぼって時間をつぶしたり、始発まで粘ったり、深夜のデニーズで安室奈美恵を発見したり(顔が超絶小さかった) 

青春と言えばファミレス!ファミレスと言えば青春だ。

だらだらとした時間を過ごすのにこれ以上快適な空間を私は知らない。

 

日本のファミレスと同じようにスペインのファミレスも青春の香りがする。

 

マドリードでお気に入りだった店の一つにVipsがある。スペインの各地にあるファミレスのチェーン店だ。

ファミレスと共に青春を過ごした私にとってVipsはとても落ち着く憩いの場だった。

Vipsに居るとスペインにいることを忘れてしまう。ソファの座り心地や人との距離感。店員の対応も日本のファミレスと似ている気がする。ファミレスに国境はないのかも知れない。

 

Vipsのメニューで特に好きだったのはパンケーキだ。

パンケーキ3枚に大量の生クリームとシロップ。シロップはキャラメルかチョコを選ぶことができるのだが、瓶ごとテーブルに置いてくれるのでかけ放題だ!さらにこのパンケーキは、通常は3枚セットだが1枚単位で注文することができる優れものなので、3枚のパンケーキに罪悪感を抱く女子も1枚ならカロリーゼロ!と伊達ちゃんのような思考回路に陥りついつい頼んでしまうのだ。恐るべしVips戦略!

なによりVipsの生クリームが素晴らしい。きちんと甘く、それでいてギリギリもたれない所が素晴らしい。

生クリーム大好きな私が自信を持ってお勧めする生クリームだ。

 

スペインでは大抵のスーパーでスプレー缶の生クリームが売られている。シューっとするだけで生クリームが出てくる優れもの。私は食パンに生クリームをつけて食べるのが大好きなのだが、日本に帰国してからはなかなかそれが食べられなくて残念だ。

日本では生クリームと言えば泡立てるタイプが主流なので、泡立ててまで食べたいかと言われるとそうでもなく、かといってスプレー式の生クリームを通販で取り寄せる程の情熱は持ち合わせていないが、スペインから日本に来る友達に「スプレー缶の生クリーム」をお土産に頼むぐらいの情熱は残っている。日本でもコンビニとかで手軽にスプレー缶の生クリームが手に入るようになればいいのにと常々思っているのだが、あまり誰からも賛同されず寂しい限りだ。

 

Vipsに話を戻そう。もう一つのお気に入りメニューはバリエーション豊富なモーニングセットだ。なかなか豪華なモーニングセットでホテルの朝食のようでウキウキする。

モーニングと言っても12時半まで食べられるのも素晴らしい。私は朝マックのメニューが好きだが、10時半までという高いハードルをなかなかクリアーできず全く食べることができずに今に至る。その点Vipsは朝寝坊しても大丈夫。ボリュームがあるのでモーニングというよりはブランチという感じだ。

 

Vipsの凄い所はレストランだけではない。レストランに入るまでにちょっとしたお店があるのだが、商品セレクトがとても良いのだ。本や雑誌、CDやDVDがあったり、流行の面白グッズなども販売している。もちろんちょっとしたお菓子や食品、日用品なども取り揃えている。レストランとは完全に独立している為、レストランを利用しない人でも自由に入店できるのだ。

なので私はよく待ち合わせ場所としてVipsを利用していた。ここで待ち合わせをすれば相手が遅れてきても全く苦にならない。暑くも寒くもないし、店内は時間を潰せる商品で溢れているにもかかわらず見通しが良い為待ち合わせに最適だ。

 

変わった写真集を立ち読みしながら好きな人が来るのをドキドキしながら待っていたあの場所。スペインで迎えた第二の青春の思い出。

 

やっぱりファミレスは青春がよく似合う場所だ。

 

運転免許

突然だが、私は車の運転ができない。

私には前を見て左右を確認して何なら後ろまで気を配りながら車を運転するという能力が備わっているとは思えないのだ。したがって免許が取れる年齢になっても免許を取ろうとは思わなかった。

車を運転したことがないので、車をひょひょいと運転する人に憧れる。

マニュアル車を運転する人に至っては無条件降伏だ。特に女の人がマニュアル車を操作する姿は神々しい。前を見ながらガチャガチャと手を動かす動作がやたらとかっこよく見えるのはなぜだろうか?

 

日本では年々見かけなくなっていっているマニュアル車だが、スペインでは今でもマニュアル車が多い。

一度スペイン人にオートマ車について聞いてみたら「あれはここ(頭を指して)が足りないやつが乗るんだ」と恐ろしい発言をしていた。ブラックジョークってやつだと願いたい。オートマ車が高くて買えない人のひがみだと思って聞き流してあげよう。

 

スペインで働いていた時、同僚の中国人のジンちゃんが何やら勉強をしていたので何の勉強をしているのか尋ねてみた。すると教習所に通い始めたんだと嬉しそうに返答してきた。異国の地で教習所に通うなんて凄いではないか!

同じ頃に日本人の友人がスペインの教習所でスペイン語での講義に悪戦苦闘していたので母国語ではない言語で免許を取ることの大変さを多少ながらも理解しているつもりだ。しかしジンちゃんのスペイン語レベルは私とどっこいどっこい。このレベルで無事に免許が取れるのだろうか?

スペイン語で講義受けるのは難しくない?と心配するとジンちゃんはきょとんとした顔で「中国人の教習所だからスペイン語関係ないよ」と言ってくる。

なぬー!中国人の教習所だと!なんだそれは!と私の頭の中は「??」でいっぱいだ。

「中国語だけで免許が取れるの?先生は中国人なの?その免許はスペインでもちゃんと使えるの?そもそもそれって合法なの???」と畳みかけるように質問するとジンちゃんはすべての質問に「当たり前じゃん!」と言ってドヤ顔を見せてくる。しまいには「日本人用の教習所ってスペインにないの?なんで?スペインに住んでいる日本人も多いから普通にあると思ってたよ!ないって言われてそっちの方がびっくりよ!」と返された。

中国に負けたと思った瞬間だった。

調べてみると日本でも英語中国語ポルトガル語に対応している教習所があるらしい。中国ってどこの国に行っても中国語だけで生きていけるコミュニティがあるのが凄い。

 

免許で思い出したが、昔こんなこともあった。

グラナダでフラメンコを習っていた頃のことだ、先生が免許を取ると勉強していたのだが、その先生は毎回レッスンに車で来ていたのだ。

えっ?無免ですか?と聞いたらグラナダ市内なら大丈夫だけど(大丈夫ではない!)最近マラガまで踊りに行くからさすがにちゃんと免許取らなきゃって思ってるんだ!と微笑まれた。

無免なのに先生の縦列駐車は大胆かつ完璧だ。多少前後の車に当たっているようにも見えるが本人はまったく気にしない。スペインではよく見る光景だが、ギリギリのスペースに駐車する勇気と根性は称賛に値する。

私は「バンパーは当てるために存在する」という事をスペインで学んだ。

 

そして先生はその日も無免のまま車を運転して自宅へ帰って行ったのであった。

 

17本のタバコ

あれは2007年にドイツへ旅行に行った時の事。

タバコを買って開けた時、何とも言えない違和感を覚えた。よくよく見てみると中が若干スカッとしているではないか。

あれ?今外側のフィルムを取って開けたばかりなのに、なぜ?

開けたそばから誰かに二三本抜き取られているようだ。スペインでもあるまいし、そんなバカな。

スペインならあり得るかもしれない。スペインだったら工場の人が二三本くすねました!てへっ。とか言われても信じてしまうかも知れない。

実際私は12個入りの卵パックを買ったのに開けたら11個しか入っていなかったことも経験している。

スペインならそれもありだ。が、ここはドイツ。真面目なドイツでそんなことが起こりえるだろうか?

 

冷静になって開けたばかりの箱に何本タバコが入っているか数えてみることにした。

タバコというのは大概1箱20本入りのはずだが、数えてみると17本しか入っていなかった。しかし良く見てみると驚くことにパッケージの側面には「17本入り」ときっちり記載されていたのだ。

ということは17本は正解なのだ。

抜き取られたわけでも間違えたわけでもなく、17本入りで正解。

 

しかし20本のタバコが丁度ぴったりに入る大きさの箱に17本しか入っていないのだから、スカスカに感じて当たり前である。20本用の箱を使いまわししているのがそもそもの問題なのではないだろうか?いや、そもそも17本なんかにしないで素直に値上げをすればいいだけの事なのではないのか?消費者の目をごまかすために料金据え置きで本数を減らすってせこい手法を選んだばかりに逆にすごい手間がかかる結果になっている。

 

それにしても料金据え置きで中身を少なくするズルい値上げのやり方は世界共通なのだろうか?子供の頃からから食べているポテトチップスも昔よりずいぶん中身がスカスカな気がする。しかし外見はなんら変わらないし、袋を開けたところで一見では量が減らされていることに気づかない。

実に姑息な手段である。

 

それに比べると、箱を開けたそばから明らかに3本少ないことがバレバレのこのタバコの場合、値上がりを隠す気なんてさらさらないように思えてならない。3本少ないことに気が付かない人なんているのだろうか?

 

値上げがバレていいのなら普通に値上げすればいいのに。

17本入りのタバコの箱を見つめながら「ドイツって面白い国だな」と思った出来事であった。

 

しかし、あの時なぜ私は17本入りのタバコの箱の写真を撮らなかったのだろうか。

悔やんでも悔やみきれない。

なぜなら17本入りのタバコはドイツでも一定の期間しか販売していなかったようで誰に聞いても知らなかった。

人に話すたびにうっすらと疑いの目を向けられるのが悔しくてネットで調べてみたのだが、なかなか情報が見つからない。このままでは私の妄想だと片付けられてしまいそうだ。いや、あれは夢だったのかも?と本人でさえあきらめかけた時、やっと一つの記事にたどり着いた。

記事の題名はズバリ「ドイツのタバコの本数が減ったり増えたりするワケ」

https://www.excite.co.jp/news/article/00091138183629/

 

この記事が書かれたのが2006年。私がドイツへ行ったのが2007年の5月なので時期的にも合っている。

この記事では19本入りになっているが、一年後に17本入りになっていたとしても不思議ではない。私以外にもタバコを買って開けてみたら「スカスカ」の状態に戸惑っていた人は存在していたようだ!

よかった。私は一人じゃない。私が体験したことが嘘ではないことが証明されたようで心からホッとした。

 

8月のダウンジャケットとピホ 

季節の変わり目の頃のスペイン人の服装は三者三様である。厚手のコートを着ている人もいればタンクトップの人もいる。人々の服装だけで季節を知ろうとするのは難しい。

 

マドリードは一日の中でも寒暖の差が激しいので一日を通して同じ服装でいることが難しい。

日本の春や秋のような長袖一枚でちょうどいい時期があまりない。

朝と晩、日が出ている時と日がない時、雨が降った時とやんだ時、屋外と屋内などで気温の差が激しいのだ。

太陽が出たら半袖やタンクトップで太陽が隠れたら上着を羽織る。まさに太陽と共に生きていると感じる。

 

8月に急に季節外れの雹が降り気温が一気に下がったある日のこと、夏の服装で震えている私の目の前をダウンジャケットのおじさんが通り過ぎた。

なんてナイスな服装のチョイスだろうか?

8月にそのダウンジャケットがすぐに出てくるなんて凄い。いくら雹が降ったからといって8月にダウンジャケットを着ようとは私だったら思わないが、目の前のおじさんの暖かそうなダウンジャケットは心底うらやましかった。

ダウンジャケットを着て雹が降る中を颯爽と歩く姿を見ていると8月だという事を忘れてしまいそうになる。

 

今でもあの時のダウンジャケットのおじさんの背中を覚えている。他人の目など気にせず我が道を行く服のチョイスがいたく格好良かった。

 

話は変わるが、服のテイストを見ればその人の属しているカテゴリーみたいなものが何となくわかったりする。

スペインでは特にその傾向が強いように感じる。

 

『PIJOピホ』と『PERROFLAUTAペロフラウタ』と『GAFAPASTAガファパスタ』を例に解説してみよう。

 

『PIJOピホ』と呼ばれる人々の典型的な服装はポロシャツにセーターを肩に掛ける石田純一のような服装だ。セーターを肩から掛けていなくてもポロシャツやシャツをinにした着こなしや髪型などから何となく一目でピホだとわかる。ラルフローレンやトミーヒルフィガーのポロシャツ率が高い。右寄りな政治的傾向の人が多い。

「ピホ」は裕福な社会階級の典型的な人のことを指す言葉だが、軽蔑っぽいニュアンスを含んでいるので使い方には注意が必要だ。

使用例その① 「どうしたの?今日はピホっぽいじゃん!笑」 お上品ねと褒めならがらもイジっている。

使用例その② 「あいつ超ピホじゃん!」 鼻持ちならないとディスっている。

出没場所:サラマンカ地区、チャンベリー地区やゴヤのエルコルテによくいる。

職業:医者、安定した職業

 

『PERROFLAUTAペロフラウタ』は常に犬を連れて通りでフルートを演奏するボヘミアンな生活を送っている人から発生した言葉。ヒッピー系の人を指す。

わかりやすいのはRASTAヘア(ドレッドヘア)の人。Pañuelo palestino(日本ではアフガンストール)と呼ばれる反全体主義の象徴ともいえるストールを巻いていたりもする。  ヒッピー系の服装で左寄りな政治的傾向が強い。汚れが目立たないような服装のため座り込んでのデモでもへっちゃら。

この言葉も比較的否定的な意味合いを含む。右の人が左の人を指す時に使ったりする。

出没場所:ラティーナ地区やデモをやっている所によくいる。

職業:アーティスト、クリエーター、または無職

 

『GAFAPASTAガファパスタ』は最新の文化的トレンドを高く評価し、モダンな服装をし、プラスチックフレームのメガネをかける傾向がある人。サブカルチャーに詳しく、うんちくをやたらと多用しがち。「僕文化人です!」みたいな人が多い。

例えるなら「世界丸見え!テレビ特捜部」のマシューみないな人。

出没場所:マラサーニャ周辺。前衛的なギャラリーのオープニングパーティに必ずいる。

職業:批評家、マスコミ関係

 

番外編『Los heavys』

ヘビメタファッションに身を包む人々。夏はバンドTで冬は革ジャン。

代表例はグランビアにいる双子のおっさん。マドリードで知らない人はいないぐらい有名なおっさんたち。

出没場所:グランビア。行けばかなりの確率で遭遇できる。

 

因みに、「ピホ」は誰もが知る形容詞となっているが、他のは地域や年代などにより使わない場合もあるのであしからず。そして基本的に「ピホ」も「ペロフラウタ」も「ガファパスタ」も悪口っぽく使うため直接本人に向かって使う時は勇気が必要です。

 

リスボンと衝撃のパン

スペインのお隣のポルトガル

同じイベリア半島に同居しているだけあって距離的にも文化的にもスペインとかなり近い。言語はポルトガル語だが大抵の人はスペイン語を理解してくれるのでとても旅行しやすい。

 

今までに3回リスボンに行ったが、初リスボンは2005年。語学学校に通っていた時の一泊二日の遠足だった。

セビージャからバスで国境を越えリスボンまで向かった。

生まれて初めての陸路での国境越えだったのでドキドキしていたのだが、EU圏内はパスポートコントロールの必要もないようで素通りだった。

大きな検問所があるわけでもなく、川を越えるわけでもない為どこからがポルトガルなのかいまいちわかりにくい。

ただポルトガルの敷地にバスが侵入した後に携帯電話のキャリア(携帯電話通信会社)がポルトガルのキャリアに変わったよ!との知らせが携帯に届いたので国境を越えたのは確かである。

キャリアの電波によって国境を越えたことを知るとは、島国の日本では味わえない体験だ。

 

リスボンポルトガルの首都だが、そこまで首都オーラがでていなくて慎ましい印象だ。コンパクトな街並みながら見どころはてんこ盛りで観光しやすい。

 

街並みもそこで暮らす人々もスペインと似ているようで似ていない。

スペインにいる人々となんら変わらない風貌だが、寡黙に働く姿はスペイン人とは何となく違う。

居心地がいいが切ない。何とも表現しにくい哀愁のような郷愁のようなベールが街を包んでいるような感じがするのだ。

まさに「サウダージ

 

サウダージ saudade」とはポルトガル語の中でも有名な単語の一つだと思うが、世界で最も翻訳しにくい単語ランキングで7位だそうだ。

https://www.todaytranslations.com/news/most-untranslatable-word/

意味は郷愁とか憧憬、思慕、切なさのようなものらしい。

因みに4位には日本語の「なあ」がランキングしているのだが、「なあ」についての説明が「日本の関西地方でのみ使用される日本語の単語で、発言を強調したり、誰かに同意したりする時に使う」となっている。

ってゆーか、「なあ」ってそもそも単語なのか?もっと他にもあるはずだ!

「わびさび」とか「メリハリ」とか「もったいない」とか。それなのに「なあ」って。「なあ」が出てきた瞬間にこのランキングの信憑性が薄くなるのでやめて頂きたい。

 

日本人の私がポルトガルで「郷愁」にも似たものを感じるのはポルトガル料理のせいかもしれない。

魚の「だし」の匂い。魚を焼いている匂いが、日本を思い出させるのだ。

ポルトガル料理の方がスペイン料理よりも和風寄りな感じがする。とにかく美味しく、日本人の口に合う味付けだ。

レストランの料理はもちろんのこと、B級グルメにしてもデザートにしても何を食べても美味しい。

 

何を食べても美味しいポルトガル料理だが、初めてリスボンに行った時に食べたパンは微妙だった。

味は微妙だがインパクトが凄すぎて忘れることができない。

 

地元のパン屋さんに入り適当にパンを買ったのだが、その一つのパンがやけに重かった。

一見しただけでは何のパンだかわからないのだが、その重さから中に何かが入っているのは明白だ。わからないものにかぶりつくのは抵抗があったのでパンを割って中身を確認してみた。するとパンの中には殻の付いたままの卵が丸ごと一つ入っていたのだ。

 

殻付きの卵が丸ごと一つ入っているパン

 

かじらなくて本当によかった。かじって食べなかった自分を思い切り褒めてやりたい。

恐る恐る殻を剥いてみると、ただのゆで卵だった。しかも何の味もついていないゆで卵。パンの中に入っているぐらいだからパンと一緒に食べれば美味しいのかも?と思い一緒に口に入れてみたものの、パンとゆで卵の味がするだけで相乗効果なんてものは得られない。

しかもパン生地はほのかに甘いのだ。ゆで卵との相性はいまいちである。

 

剥かなくてはいけない殻ごとのままの卵が入っている食べ物って食べ物としてどうなんだろうか?

これがありならパンの中に缶ごとサバ缶入れてもいいんじゃないだろうか?新しい料理ジャンルなのだろうか?

 

ずいぶん長い間私の中でこのパンの謎は解けぬまますっかり忘却の彼方へ押しやられていた。

しかし今回このブログを書くにあたり調べてみるとこのパンは「フォラール」と言い、ポルトガルイースターの時に食べる伝統的なパン菓子なんだそうだ。 

グッグったらこんなにあっさり出てきてこっちがびっくりした。

 

ただポルトガル在住の人のブログなどを見てみると皆さん私と同じく「殻付き卵」がパンに入っていることにはびっくりしているようだ。やっぱり殻付き卵入りパンは衝撃なのだ。

長距離バスと不躾な視線

セビージャに住んでいる頃、友達と長距離バスでマドリードへ遊びに行った。セビージャからマドリードまではスペイン版新幹線のAVEを使えば2時間半であっとゆー間に着くが料金が高い。当時貧乏学生だった私たちには金はないが時間だけはたっぷりあったので6時間かかる長距離バスでマドリードへ行くことにしたのだ。

 

スペインのバスはスペイン国内ほぼほぼ網羅していてとても便利だ。値段も安いし便数もたくさんある。

 

バスが出発してしばらくたったころ座席の異変に気が付いた。カーブに差し掛かると座席が「カッ」と少し横にずれるのだ。よくわからないが座席がきちんと固定されていないようだ。しかしカーブ以外では全く問題がないので私は問題を放置することにした。なぜならバスは満席なので座席の不具合を訴えたところで他の席へは移れない。他の席へ移れないのであれば問題を訴えても仕方ないってものである。

多少の不具合があるものの、座り心地は決して悪くない。

 

気が付くと、時より不気味な歌声のようなうめき声のようなものが聞こえてくる。

声の出所を探してみると私たちより前の席でイヤホンを装着していると思われるおねえちゃんの頭が気持ちよさそうに左右に揺れていた。左右に揺れる頭と同じタイミングで聞こえてくる不気味な歌声。

間違いなく声の主は彼女だ。

彼女の席は中央出口のすぐ後ろなので出口のステップ階段の手すりに足を乗せ、なんとも気持ちよさそうだ。

何の曲なのかはわからないが、讃美歌のようにもオペラのようにも聞こえる。

 

歌っている彼女の様子を見たくて頭を通路に傾けると、彼女の席よりもっと前方に座っていた子供が体全体を後ろに向け、がっつりと彼女を見つめていた。

真正面から食い入るようにじっと他人の顔を見る子供。

他人をじっと見る行為は「不躾だ」と教育を受け、大人になっても恐る恐るチラ見しかできない小心者の私にはできない芸当だ。

 

そうこうしている間にバスは山道へ突入した。右に左にくねくね曲がるのが山道である。

すっかり忘れていたが、私の座席はカーブが来るたびに若干横へずれるのだ。

 

カーブの度に「カッ」と鳴る座席と放り出されそうになる体。

前方から聞こえてくる怪しい歌声。

そしてその歌声の主をじっと見つめる子供の顔。

 

このカオスの状況に笑いが止まらない私たちだが、子供の目線から見てみると、気持ちよさそうに怪しい歌を歌う女の後ろでカーブの度に体を左右に揺らしながら大笑いしているアジア人がいるわけだから、そりゃ目が離せないに決まっている。

 

今思い出してもあの時のバスの車内はカオスだった。

 

 

それからずいぶん経ち私の感性もスペイン人並みに図太くなった頃、現地の友達とマックで並んで話していたら前にいる男から思いっきりガン見された。ガン見されたのでこちらからも思いっきりガン見し返してやった。チラ見しかできなかった小心者の私はもういないのだ。

じっと見つめあう二人。これが少女漫画なら恋に落ちるところである。

しかし、私たちは見つめあっているのではなくガン見しあっているのだ。

すると変な空気を感じ取った友達が「なに見てんのよ」と男を追っ払ってくれた。さすがスペイン人女子は強い。友達が男なら惚れているところだ。

 

それにしてもガン見はスペイン人の得意技だ。子供に限らずスペイン人は興味のあるものから目がそらせない性分のように思う。びっくりするぐらい真正面からガン見する。

この場合のガン見とは「じろじろ」「しげしげ」「まじまじと凝視する」ことであって、昔のヤンキーのような「ガンとばし」とは一線を画すものだ。

別にケンカを売られているわけではないので私のようにガン見し返すという行為は正解ではないのであしからず。

Hospital de día/デイホスピタル

スペインでの入院模様は以前ブログで書いたが、今回は退院後に通ったデイホスピタルでの出来事について。

 

突然の入院と同じく、退院も突然だった。

入院から二週間でやっと病名が判明し、治療が始まった矢先の退院。まだまだ痛みもあるので退院はまだ先だと思っていたのだが、あまり長く入院すると逆に体に良くないと説明された。

上げ膳据え膳で入院していると自力では何もできない体になってしまうらしい。確かに体力が著しく落ちていることは自分でも自覚していた。一番驚いたのはトイレで踏ん張ろうと思っても踏ん張れないことだった。たかだか三週間ぐらいの入院生活で踏ん張れないほど腹筋が退化するとは思いもよらなかった。

という事で、リハビリもかねて自宅から通院する形で治療を続けることが最善と判断され、痛みが残るままあっさりと退院することになったのだ。

 

通院で通ったデイホスピタルなるものは入院していた病院の中に併設されている施設で、私のような難病の点滴治療やがんの抗がん剤治療などにも使用される。

病院内は歯医者にあるようなリクライニングチェアが点在していて、テレビも所々に設置されていた。

受付を済ませると看護師がその日分の点滴薬を用意し、本日のメニューはこちらですと言わんばかりに目の前に点滴をずらっと並べてゆく。全ての点滴を打ち終わるまで大体7,8時間。

 

長丁場なので本や携帯、タブレットなどを持ち込み時間をつぶす。テレビもあるので退屈はしない。お昼には簡単な軽食も配られるので至れり尽くせりだ。

 

二度目の通院の時、私の席がちょうどナースステーションを見渡せる位置にあったのでぼーっと看護師たちの動きをそれとなく観察することにした。

 

一台のパソコンの調子が悪くなったようで一人の看護師が悪戦苦闘していた。すると別の看護師が倉庫にいるヘススに聞けば治ると思うから倉庫に行ってみれば?と言うので看護師はその場を離れ倉庫へ向かっていった。

すると助言した看護師もその場を離れ、しばらくパソコンの周りには誰もいなくなった。

そこへ何も知らない看護師が現れ、またパソコンの不具合に悪戦苦闘しだす。

ヘススを呼びに行ったはずの看護師は倉庫からタオルなどの備品を持って帰ってきたが、肝心のヘススは一緒ではないようだ。しかも、パソコンの不具合の事などまるで忘れている様子でパソコンを素通りして他の作業を始めている。

パソコンに悪戦苦闘している二人目の被害者はそのうち隣の看護師と昨日の出来事を話だし、ついにはパソコンをそのままにして席を離れてしまった。

 

一部始終を遠巻きながら見守っていた私は、問題のパソコンがなんにも解決されぬままそこに放置されているのをただただ眺めていた。ヘススとやらは一体いつパソコンを直しにくるのだろうか?

誰一人としてメモを残さないので結局その後も何人かがパソコンを触っては不具合に気づき他のパソコンへと去って行くという事を繰り返している。

そしてお昼を挟みとうとう勤務交代の時間になってしまった。

 

勤務交代時には業務の引継ぎがあるはずだから、遅番の人にはパソコンの不具合が伝わるのではないだろうか?と思ったが、どうやら私の見立ては甘かったようだ。その証拠に目の前のナースステーションではまた新たなパソコン被害者が頭を抱えて苦戦している。パソコンが朝から壊れていることと、倉庫にいるヘススならその不具合を治せるらしいという情報を教えてあげたいが、薬漬けで頭がボーっとしている私には荷が重い。

 

「問題放置プレー」はスペインの職場ではよく起こるが、自分が命を預けている状態では笑うに笑えない問題だ。自分の点滴をじっと見つめこの点滴は本当に大丈夫なのだろうかと疑心暗鬼になるが、正解がわからないので点滴をいくら見つめても不安は消えない。

 

そんなことを考えている間に、気が付くと問題のパソコンに一人の男性看護師が立っていた。ヘススだ!

おー!ヘスス!まさにジーザス!

 (※ ジーザス (Jesus) は、イエス・キリストの「イエス」の英語読みである。このため、映画や演劇などには「ジーザス」という言葉を多用した作品が多く存在する。また、「おお神よ」という表現や「神様!(助けてください)」という場面などに「ジーザス」ということもある。ラテン語読みでは、「イエズス」(教会ラテン語に基づく慣用)となる。スペイン語読みではヘスス(ヘスース)である。 出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』)

 

これでやっと午前中から続いているドタバタ劇が終わりを迎えることになるのだなと見守っていると、ヘススは少しパソコンをいじってみた後に静かに立ち上がり、紙にマジックで大きく✖と書いてパソコンに張りその場を立ち去っていったのだった。

 

抜本的な解決には至らないものの、パソコンが壊れているという事実を公にするという本日初めてのワンアクションのお陰でその後の混乱は避けられることとなった。

ヘスス!グッジョブだ!

 

遠い昔、小学生たちが8時だよ全員集合!を見ながら「志村後ろ!後ろ!」と叫んでいた気持ちが痛いほどよくわかる一日の出来事だった。

「人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見れば喜劇である」とチャップリンは言ったが、スペインは近くで見ても、遠くで見ても喜劇で溢れている。

 

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