スペインに惚れました

10年暮らした愛しのスペイン。私の独断と偏見に満ちた西方見聞録

Feria del libro/ブックフェア

マドリードのレティーロ公園で開催されたFeria del libroでアルバイトをした。

15日間に渡りレティーロ公園の一角にたくさんのテントが並ぶ恒例のブックフェアだ。

スペイン版の紙芝居を取り扱っていた地方の出版社がマドリードのフェリア出店に向け、紙芝居の発祥の国の日本人をスタッフにして目を引こうとしたのが私たち(私の他にあと二人の日本人女子)が雇われた理由であった。

15日間(中一日だけ休み)のわりに給料はなかなか良かったと記憶している。

出版社が私たちに求めるものはただ一つ、自前の浴衣を着て働いてほしいという事だけだった。

浴衣を着て紙芝居を売る。

とりあえず人目を引くことがこの仕事の最大のミッションのようだ。

 

ただこの目論見は失敗に終わった。

まず、ブースの中で浴衣を着ていてもたいして目立たないのである。しかも私も他のスタッフも小柄だったため積まれた本などで胸あたりまで隠れてしまう。仕方なく簡易でお立ち台を作りかろうじて帯が見えるくらいまで

底上げしたものの、目立たないことに変わりはなかった。

次に、なぜ日本人が浴衣を着てスペインの出版社のテントで働いているのか誰にもわからないのである。

紙芝居=日本という概念もなければ紙芝居自体もそれほど認知されていないのだ。

しかも、紙芝居の枠と中身を販売しているのだが、肝心の物語はまるで日本と関係のない話なのだ!

これでは、せっかく私たちの顔立ちと浴衣で日本だと認識して立ち寄ってくれたお客さんでも買うものがない。

そしてターゲットだと思われる子供連れの客は浴衣のせいでなかなか近寄ってくれない始末だ。

 

このままではやばいと判断され外にでて順番に呼び込みをすることを命じられたのだが、ブースから出ると一気にただの客寄せパンダ感が増してくる。

マンガフェアでもあるまいし、コスプレまがいの浴衣を着た日本人がこんなところで呼び込みすれば確かに目は引く。が、私の30m先にはスパイダーマンが風船を売っている。私の立ち位置はもはやあれと同じではないか。

しかも、同志だと思っていたスパイダーマンはその後警察に連行されてしまった。

マスクをはがされ連行されていくスパイダーマン

私も客引き(違う種類の)だと思われて連行されたらどうしよう!とやたらと挙動不審になる私であった。

 

結局15日間を通して一番説明したのは紙芝居の内容や使い方ではなく、なぜ日本人が浴衣を着てここにいるのかということだった。

来る日も来る日も私たちは紙芝居と日本の関係を説明し続けた。そして説明すればするほど日本の物語は販売していないのか?と尋ねられた。

そりゃそーなる気持ちもわかるわかる。

例えるならば、日本でフラメンコの衣装を着たスペイン人がカスタネットはスペインが発祥なんだよと言いながら、日本の曲や他の国のカスタネットの楽譜を売っているようなものである。

もはやスペイン人である必要もフラメンコの衣装を着ている必要もない。なんならスペインが発祥だとゆーうんちくすらいらない。

私たちがやっているのはこれと一緒。

(例える必要もなかったけど、例えてみた。そして例えてみて一人で上手い例えだと満足している)

 

しかし、私たちはめげずに15日間浴衣で紙芝居を売り続けた。

「初志貫徹」である。

微力ながらも多少の売り上げには貢献できてよかったと思う。

浴衣を着て目立っていたおかげで周辺のテナントの人からも色々話しかけられ人気者だったし、予定通りのお給料もきちんと頂けたしと、私としては大満足なバイト経験となった。

パラグライダー体験/Parapente

グラナダで暮らしていた時、日本に帰国する友達が最後の思い出にパラグライダーをやりたいというので知り合いを通じて体験できる店を紹介してもらった。

確か二人で150€ぐらいだったと記憶している。(十年以上前) グラナダの物価の安さの中で一人75€の出費は痛かったが、こんな時でもない限り体験することもなさそうなので友達に便乗して挑戦することにした。

 

近所の広場でピックアップしてもらい山へ向かう。

残念ながらどの山なのかまったく覚えていない。覚えていないというより全く覚える気もなかったので覚えていなくて当たり前だ。

美味しいレストランに行ったよ!と得意げに答えるもののレストランの名前も、住所も全く言えないような女なのだ私は。

ともかく、車は山へ入り無事に離陸ポイントに到着した。到着したが、インストラクターが「風がない」と落ち込んでいる。

予約の時からパラグライダーは風が重要で自然相手なので天候次第で中止になったりする場合もありますと言われていた。それがまさに現実になっているようだ。

 

とりあえず準備だけはしておいて風を待とう!ということになり黙々と準備を始める。体重を聞かれ、重さ調節のためにその辺の石をリュックに詰められる。

インストラクターと一緒に飛ぶタンデム飛行のため事前の説明はとても簡素だ。

その時が来たら斜面を駆け下り離陸するということと空中での姿勢についてのみ。あとは約20分のフライトを楽しめ!とそれだけ。

 

どのくらい風を待っただろうか?インストラクターが今日はもう無理かもしれないから明日出直すか?と言いかけた時、待ちに待った風が吹き始めた!

「今だー!立てー!走れー!」と突然言われ、なんの心の準備もできないうちに走り出す。走り出すといっても二三歩地面を蹴っただけで体はすぐに風に乗り空へと飛び立っていた。

欲を言えばもう少し前置きが欲しかった。

「いやよいやよ」「怖い怖い」「押すな押すな」はこの手のアクティビティを盛り上げる重要な要素だ。怖がったりした後に勇気を出して踏み出す一歩にこそ恐怖を克服した達成感が得られるのというものではではないか!

なのに、「今日は中止かなぁ?夕飯何食べようかぁ?」などとボーっとしている時に急に立たされ、走らされ、三歩後には既に体が浮いている状況になってしまった。

 

しかし、楽しい前置きがなかったとしても飛び立った後に味わった感動は最高だった。

地上から見ている時より上空はゆったりした時間が流れ、高さによる恐怖もまったく感じなかった。後ろにいるインストラクターがすべてコントロールしているので私はソファに座ったような姿勢でただただ風に身を任せて空の青さと眼下に広がる景色を眺めるだけだ。

 

むかし沖縄でスキューバダイビングを体験したことがあるが、パラグライダーとは対照的に怖かった思い出しか残っていない。なによりも自分の息づかいしか聞こえない世界が怖かった。ゴムの匂いが不愉快な空気ボンベや顔にへばりつくゴーグル。いつまでも消えない耳の圧迫感がここは人間が生きる世界じゃないと私に訴えかけ、二度とスキューバはやるまいと私に決心させたのだ。

 

しかし、パラグライダーは恐怖のきの字も私に感じさせなかった。

空は広く青く、風も穏やかでとても気持ちのいい空気に包まれていた。

まるで鳥になったみたいだ。

鳥になったみたいだと私が感じた同じ瞬間、私の思考を読み取ったようにインストラクターが「鳥になったみたいだろう?!」と声を掛けてくる。

「本当だわ。鳥になったみたいだわ!」と喜んでいたのだが、インストラクターの「鳥になったみたいだろう」攻撃は収まらない。「Sí!!!」と同調したのにも関わらず、何度も何度も言ってくる。インストラクターは真後ろにいるので私の返事が聞こえないのかな?と思ったがそうではないっぽい。もはや「鳥になったみたいだろう」は私に向けられている言葉ではなく、興奮したインストラクターが勝手に呟く独り言なのだ。

初めてのパラグライダーに感動している私より興奮しているインストラクター。

後半は景色云々よりどうやったらこのインストラクターの口を塞げるだろうかという事だけを考えていたような気もする。

 

とはいえ、初めてのパラグライダー体験はこの上なく素晴らしい体験となった。

機会があれば日本でももう一度挑戦したいものである。

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グラナダスノーボードをやったブログもあります。

tokiotamaki.hatenablog.com

 

 

シンパの話/ Sin Pagar

シンパと調べると何やら怪しげな感じで「共産主義などの共鳴者」などと出てくるが、私が言っているシンパとはSin Pagar(未払い)のことである。

スペインではSin Pagarを略してSimpa(シンパ)などと言うことがある。

しかーし、良い子の皆さんは決してマネしてはいけないシンパ。

 

使用例を挙げると

 

私: お勘定お願いしまーす

お店の人: はーい!

それから10分

私: 全然お勘定しに来てくれないなぁ

それからさらに10分

友人: 遅いねぇ。まだ来ないねぇ。

そしてまたまた10分

友人: シンパする?

 

シンパとはようするに「食い逃げ」のことなのである。

テーブルでのお会計が一般的なスペインのレストランではしばし(頻繁に)会計を頼んでから実際に会計が終了するまでに恐ろしく時間がかかる時がある。その待たされた時間に怒りを覚えるとき人は「シンパしてやるぞ!」という気持ちになるのだ。

気持ちになるだけであって、実際に実行したらそれは犯罪。まさしく「食い逃げ」となるので実行してはいけない。いけないが、あまりに待たされたりすると人は「頼んでいるのに会計しない店が悪いのだ。シンパされても仕方ないではないか!」と思ったりするらしい。

もっともらしい言い訳をされても犯罪は犯罪であるので私は実際にシンパしたことは一度もない。友人同士で冗談で「シンパしちゃう?」なんて言うことはあっても実際にはやらない。

が、私はシンパされた側になったことはある。

 

あれは私が日本食レストランで働きだして最初の週末だった。

レジ係に任命されていた私は平日の間にレジ操作を覚えさせられ、時間はかかるもののなんとか一人でこなせるようになってはいた。

しかーし、土曜日の夜の繁盛ぶりは予想外だった。しかもお会計は同じような時間帯に一気に重なってやってくる。ただでさえ時間がかかるのに目の前に積まれてゆく会計の山が私を焦らせ、私はパニックに陥った。

同僚は優しく「大丈夫、大丈夫」と励ましてくれたが、「会計はまだか!」とお客さんたちがざわついている気配はレジまで届いていた。それでもしょうがない。私は一人しかいないし、レジは一つしかない。一つ一つ確実に処理していく以外に方法はないのだ。

 

悪夢のような時間がやっと終わり最後のレジ締めを始めると私は再びパニックに陥った。

レジが合わないのである。何度計算し直しても合わない。しかもはした金ではなく、70€以上合わないのだ。

正しくは76.80€不足している。(一万円弱)

そして76.80€ぴったりの合計金額だったテーブルの会計を発見した。

この二つの事実が私に訴えかける真実は一つ。「シンパ」だ。

 

私には思い当たる節がある。地獄のような時間帯に30代の女性が「お会計待っているんだけど、まだ?」と言いに来たのだ。「すぐお持ちします」と答えたものの、どこの席の客なのか見当がつかなかった。そして同僚に聞こうと思いながらも目先の処理に精いっぱいで、その後すっかり忘れてしまっていた。

あれだ。きっとあの人だ。。。76.80€のテーブルのお客さんだ。

 

原因が分かったので社長に報告しに行く。弁償しろと言われたら辞めてやると覚悟を決めた。

「レジが合いません。シンパされた模様です!」

「・・・」「シンパって。本当なの?」

「はい。それしか考えられません。地獄絵図のごとくレジが混んでいたのできっと怒ってシンパされたんだと思います。精一杯やりましたが、すいません」

社長はしばらくじっとこちらを見ていたが、あきらめたのか「しょうがないわね」と言っただけで弁償しろだのなんだのと怒ることはしなかった。

よかった。私は首にならないし、お客さんもおとがめなしだ。

 

しかし、10年以上経った出来事にもかかわらず、私がいまだに「76.80€」と覚えている位「シンパされた側」の衝撃は大きいのだ。

皆さん、くれぐれもシンパなどしないようにしましょう!

 

オープン・ユア・アイズ/ Abre los ojos

スペイン映画の中で私が特に好きな映画が「オープン・ユア・アイズ」だ。

後にトム・クルーズ主演でリメイクされた「バニラ・スカイ」のオリジナル版。20年も前の映画だが、今でも初めて見た時の衝撃は忘れられない。

 

「オープン・ユア・アイズ」 原題 Abre los ojos

監督 アレハンドロ・アメナバル

出演 エドゥアルド・ノリエガペネロペ・クルス、ナイワ・ニムリ

公開 スペイン1997年 (日本公開 1999年)

 

※ネタばれなし

 

バニラ・スカイ」しか見ていない人には是非スペイン版のオリジナルを見て頂きたい。

私からすると「バニラ・スカイ」は若干手緩い。オリジナルを先に見て衝撃を受けた身にはトム君版はいささか軽く感じるのは否めない。映像も明るいし初めから終わりまで「ペネロペ愛」がダダ洩れ。トム君がペネロペに惚れてリメイクしただけのことはある。オリジナルの方が暗~い映像でおどろおどろしく、バッドエンド感が満載。見終わった後にはバッドへ向かった分岐点を確認したくなってもう一度見直したくなる見事な出来。

スペイン映画史に残るであろう冒頭の誰もいないグランビア通りのシーン。

首都マドリードのど真ん中、カジャオ駅周辺のグランビア通りに人っ子一人いないシーンは圧巻。(褒めすぎている気もするが、それだけ私の中では衝撃的だった)

リメイク版ではN.Yのど真ん中タイムズスクエアにトム君が立ちつくしており、タイムズスクエアのスペイン版はグランビアなのだなと改めて認識した次第であります。

 

初めてこの映画を見たとき、主演のエドゥアルド・ノリエガの独特な顔がなかなか受け入れられなかったのだが、見慣れてくるとなかなかカッコイイ。同じアレハンドロ・アメナバル監督の「テシス」でデビューしブレイク、「オープン・ユア・アイズ」で一躍トップスターになったそうだ。(この「テシス」もとても面白い。怖いサスペンス映画なので面白いと表現するのはどーかと思うが、ほかに表現方法が見つからない。サスペンス系が好きな方は是非どうぞ) 

 

ヒロインのペネロペ・クルスはもう説明する必要もない。スペイン映画界からハリウッド進出しスペイン人女優で一番有名なハリウッドスターとなった。

ハリウッドなぞに行くと「スペインを捨てた」だのなんだのとやっかみひがみが出るのが世の常だが、ペネロペの場合はスペイン映画にも出続けたことと、数々の浮名を流したものの最後は同郷のスペイン人俳優のハビエル・バルデムと結婚したことでスペイン人たちのハートをグッと繋ぎ止めた。

ハビエル・バルデムと共演した「それでも恋するバルセロナ」ではアカデミー助演女優賞を受賞。

 

ヌリア役のナイワ・ニムリ(スペインではNajwaナジュワと呼んでいたので日本語表記の名前に違和感を覚えるので以下よりナジュワと表記させていただく)の顔はこの映画で強烈な印象を残す。物語の後半で一瞬だけ出てくる彼女の顔は恐怖でしかない。(凄く綺麗なんだけどね) 

ナジュワは女優であり歌手でもある。実は私、マドリードに住んでいた時代に何度か彼女と話したことがあるのだ!(自慢) 働いていたお店に何度かお客として来たのだが、たまたまお店に彼女のCDが置いてあったのでサインをしてもらった。日本人の店に自分のCDがあることにナジュワは上機嫌になり結構長い時間店に滞在してくれた。豪快なねぇちゃん気質で、日本人でいうと「土屋アンナ」って感じだった。

「オープン・ユア・アイズ」以降も様々な映画で活躍し、最近では全世界で大ヒットしているNetflixのドラマ「ペーパーハウス」に出演!(シーズン3より登場) 妊婦姿でチュッパチャップスを咥えるその姿は相変わらず妖艶で美しい。

 

リメイク版でのヌリア役はキャメロン・ディアス

はっきり言ってバニラ・スカイで一番良かったのがこのキャメロンの怪演!狂気じみた笑顔が怖かった!

ヌリア役はオリジナル版よりリメイク版の方が出番も多い(キャメロンだから?)し、狂気度が増している。

 

オリジナルの方が断然いいと言って書き出したが、色々思い出すうちにバニラ・スカイも捨てたもんじゃないかもしれないと思い直してきた。

興味のある人は是非両方の作品を見比べてみてください。

愛しのSobrinos

私には勝手に姪だ甥だと思い込んでかわいがっている友達の子供がいる。

因みにスペイン語で姪はsobrinaソブリーナ、甥はsobrinoソブリーノだ。

 

姪っ子たちの母親とは姪っ子たちが生まれる前からのスペインでの友人だ。知り合った当時私たちの関係は上司と部下だったが、近所の人たちはなぜだか私たちのことを姉妹だと思っていた。家族経営の中国人の店が多かったので、日本人女子が働く小さな商店も家族経営だと思われたのだろう。実際、毎日一緒にいたので家族と思われても仕方ない。

 

そんな彼女が妊娠し、日に日にお腹が大きくなるにつれ私の中から叔母心が芽生えていったのだ。

もともと母性が強い方でも子供好きってゆーわけでもなかったのに不思議なものだ。

 

彼女の最初の子供は女の子。妊娠中はつわりで彼女を苦しめていたものの、生まれてくるとよく眠る手のかからない大人しい子だった。スペインと日本のいいところを受け継いだ可愛いお顔。分けていただきたい長いまつげ。

それまで赤ん坊との接点がまるでなかったので、どう接していいのかわからなかったが彼女の子供とは不思議と初めて会った時から馬が合った。

数年後に男の子が生まれ、私は姪っ子に続き甥っ子を手に入れる。

 

彼女が徹底的に日本語を教えた為、姪っ子たちは見事にバイリンガルとなった。ママと話すときは日本語、パパと話すときはスペイン語だ。面白いのが日本語でパパの話をしている時のパパの発音は「パ」初めのパが強く発音されるのに、スペイン人のパパが急に登場した時にパパに向けて言うのは「パ」後ろのパにアクセントがつくスペイン語発音のパパ。小さな子供ながらに使い分けているなんて凄いなと感心した。

 

姪っ子たちは私と話す時は100%日本語なのだが、なぜか私の名前を呼ぶ時だけは「TAMAKI」と呼び捨てでまるでスペイン人が私を呼ぶ時のような発音で私を呼ぶ。

その小生意気な感じもまたとても可愛い。

以前姪っ子の前で姪っ子のパパとスペイン語で話していたら、驚いた顔で私を見上げ「TAMAKIがスペイン語話しているの初めて聞いた」と言ってきた。初めて?なわけないだろうと思ったが、確かに姪っ子の前でがっつりスペイン語を話したことはないかもしれない。「で、私のスペイン語はどうだった?」と聞いてみると「なかなか、まぁまぁじゃない」とこれまた小生意気な返答。そりゃバイリンガルには敵いませんわ(笑)

 

そして今どきの子供らしくYouTubeを駆使し日本の流行にも敏感で、毎年私に日本の流行を教えてくれる。(スペイン在住の姪っ子が日本在住の私に日本の流行を教えてくれるのだ) 「すみっコぐらし」も「パプリカ」も私は姪っ子に教わった。

因みに去年のハロウィンは鬼滅のねずこの仮装をしたようで、どこで調達するのかかなりのクオリティーのねずこに仕上がっていた。その横で天然マイペースな甥っ子は「ピエロの恰好のジョーカー」という不気味極まりない仮装で得意げにポーズをとっていた。

 

あぁあ、会いたいなぁ~。

 

私が日本に帰国してからも、なんだかんだと毎年スペインに遊びに行っていたし、姪っ子たちも日本にちょくちょく来ていたので年一回は会えていたのに、コロナのせいで最近は会えていない。

早くコロナが収束してまた自由に旅行ができる世の中に戻って欲しいと切に願う。

 

 

手書きの文字

スペイン人の書く文字は分かりづらい。学校の先生でさえ独特な個性を発揮した文字を書き、留学生を困らせる。

板書をしていてもスペルがよくわからなかったりする。

学校の先生は字が綺麗なはずだと思い込んでいたが、スペインの先生には当てはまらないようだ。

しかし、学校に通わなくなると手書き文字に遭遇することがぐっと減り、文字読解に苦労することもなくなっていった。

手書きの文字なんてバルのお勧めメニューぐらいでしかお目にかからないと安心していたが、デジタルの時代となった今でもポストカードやら、メモやらは手書きの為いつまで経っても文字解読に苦労する羽目になる。

 

筆記体が読みにくいのは当たり前だが、筆記体とブロック体を混ぜて書いたり、なかなか意表を突いてくる。

ブロック体の大文字Aを△のようにまるで三角形のように書く人や、小文字のm n u v wはどれがどれだか分からなく区別がつきづらい。

s とr はなぜか急に筆記体になったりならなかったするし、数字の1とか4とか7とか9とかも個性を主張しがちだ。

 

会社で同僚がメモを残してくれるのはありがたいのだが、文字が読みづらいためメモを細めで見つめ想像を膨らませる。

解読できた時は名探偵にでもなったように気分が上がる。

文字解読に苦労しているのは私だけなのか?と疑問を抱き他の人々に聞き込みしてみると、アルファベットを使う国の人は個性的な文字でも何を書いてあるか大体分かるようだったがアジア人は私と同じで苦労するといった人が多かった。

アルファベットを母国語として使っているか否かで結果は大きく分かれるようだ。

アルファベット圏の人はアルファベットなら個性的な文字でも解読できるのだ。

 

私も日本語なら手書きであっても大体読める。(掛け軸レベルの達筆は読めません)

しかし、私が手書きのアルファベットで苦労するように、外国人も手書きの日本語で苦労するという。

日本語が出来る外国人でも手書きの日本語の解読は難易度が高いと言っていた。

日本語は漢字やひらがな、カタカナがあるため外国人には特に難しいだろう。

 

しかも日本人の中にも文字が著しく個性的な人が存在する。

 

随分昔の話だが、働いていた店の店長が送った日報の文字が汚すぎて判別不能だと本社から苦情が入った時があった。

まだPOSシステムが導入されていなかった時代だった(バーコード管理されていなかった)ので毎日売上日報を本社にFAXしていたのだ。

うちの店長は少々変わった人で、ある日突然

「自分は元来左利きだったのに幼少の頃に親に治されたのだ!」

と言い張り、今日から左利きになると宣言をした。

左利きになろうがなんだろうが勝手にしてくれと思っていたが、なんと本社に提出する日報を左手で書き出したのだ。利き手の右手で書いた文字すら独特なのに、左手で書くなんてふざけている。

「今日は私が日報を書きます」と遠まわしに店長が日報を書くことを阻止しようとしたのだが、「慣れないといけないから僕が書くよ!」とやる気満々。

店長がその気なら誰にも止められない。慣れない左手でいつもの倍の時間をかけて書いた文字は漢字の偏やつくりのバランスがおかしい。ひらがなも「は」のバランスがおかしいせいで「し」と「よ」に見える。

店長が何を書きたかったか分かっている私であっても解読するのに苦労する暗号のような日報となっていた。

そりゃ苦情がくるはずである。

次の日もめげずに左手で日報を書いていたが、本社から「二度とやるな」とお達しがきたため店長の左手書きは永久に封印されることになったのであった。

 

他の人が読めなければ文字は文字として機能しないということを学んだ。

エキストラ

グラナダで暮らしていたある日、日本人の友だちが映画のエキストラの仕事をもらってきた。

なんでもマドリードで「GOL!2」という映画の撮影がある為なぜだか日本人を大量に募集しているとのことだ。

グラナダからマドリードまで距離はあるものの、面白そうなので友だち4人で出稼ぎに行くことにした。

 

昔のこと過ぎてバイト料がいくらだったか覚えていないのだが、グラナダマドリードのバス代を自腹で払わなくてはいけないとしても十分魅力的なバイト料だったと記憶している。なんせ貧乏留学生の身分だったのでバイトが出来るだけでもありがたい。

 

首都のマドリードに乗り込むにあたって私は初めて地方の人が首都へ乗り込む気持ちが分かった気がした。

マドリードには何度か遊びに行った事はあるものの、気分はすっかり田舎者。

のどかなグラナダでのらりくらりと暮らす身には大都会マドリードに行くのにはそれなりの身構えが必要だ。しかも今回はマドリードで暮らす日本人がたくさん集まる場所にグラナダからへなちょこ4人組が乗り込んでゆくのだ。なめられないようにしなければ!と何故だか行く前から緊張気味だった。

わーん(泣)怖いよぉぉぉ!首都に行くってこーゆーことなのね!

 

「GOL!2」は2と表記されるだけあって「GOL!」という映画の続編。(なんとGOL!3まであった)

しかし当時も、そして今に至っても私はまだ一度もこの映画を見ていない。

タイトルから簡単に推測できるようにサッカーのお話だ。一人の青年がサッカー選手になる話なのだが、実際のサッカーチームやサッカー選手が出てくるので話題になったとか。

私たちがエキストラで参加するのはレアル・マドリードが夏に行う日本遠征の一場面。

「日本のホテルでのシーン」という設定のため大量の日本人が必要だったらしい。

 

最初のシーンはホテルの入口に陣取り車が入ってきたらカメラを撮るいわゆる

「出待ち、追っかけ、カメラ小僧」的な役。「日本人=カメラ」分かりやすい。撮影スタッフに「車が来たらカメラでバシャバシャ撮ってね」「女の子たちはキャーキャー叫んでね」と指示される。

カメラに写らない列の後方を陣取ったため、前の人を隠れ蓑にしサボっているとマイクを持つ音響スタッフに「もっとキャーって叫ばなきゃ」と促される。

バレちゃーしょうがない、お金を頂く身なので指示通りやるしかない。外のシーンは寒いのでこっちも早く終わらせたいのだ。「キャーキャー」と必要以上に叫びカットがかかるたび音響スタッフの顔色を伺う。するとばっちり!と言わんばかりにウィンクしてくれた。ちょろいもんだ。

 

その後は軽食タイムが設けられ、順番にケータリング料理を頂いた後はホテル内のラウンジのシーン撮影に突入。

座ったり立ったり歩いたりと繰り返し、ちんたらちんたらと撮影は続き全て終了したときには既に深夜となっていた。長かった一日も終わり待ちに待った報酬支払いの列に並んでいると、メトロの営業も終わっているのでタクシー代がプラスで支給されているという噂が流れてきた。

支払い係りに「家はどこ?」と聞かれたので「グラナダ」と答えると

「?!?!?!グラナダグラナダってアンダルシアのグラナダ?」とドン引きされた。まさかグラナダからエキストラをやりに来てるとは思いもしなかったらしい。マドリード在住の日本人たちにも「あの人たちグラナダから来たんだってよ!」とひそひそ囁かれる始末。

協議の結果グラナダから勝手に出稼ぎに来た私たちにはタクシー代は支給されないこととなった。

残念無念だが、致し方ない。

今回100人程の日本人エキストラの募集があったようだが、100人も集まらなかったのでグラナダの私たちまでおこぼれが回ってきたのだ。贅沢言ってはいけない。日本人が集まらないからなのか日本人以外のアジア人も何人かエキストラに参加していたぐらいだ。

 

そして解散となったのだが、なんせ真夜中だ。当初の予定では最終のグラナダ行きのバスに間に合う時間には撮影が終わると見込んでいたのだがもう既にバスは終わっている。

首都マドリードなんだから24時間営業のファミレスぐらいあるだろうと、とりあえずタクシーに乗り込み希望を伝えるもタクシーの運ちゃんに「そんなものはない」とあっさり言われる。グラナダから来た出稼ぎ4人組みを可愛そうに思ったのか「空港なら24時間いられるよ」とありがたい助言を頂き、用もないのに(グラナダへ帰る時のバスの駅とは離れているのにもかかわらず)とりあえず空港で時間をつぶすことにした。

夜中の空港には嫌な思い出しかないのだが(※)、マドリードの空港は迷える子羊を優しく受け入れてくれた。

とりあえず屋根もあり、椅子もある上にコーヒーまで飲める。(カフェが開いていた)ありがたや、ありがたや。

ほっと一息つくと急に今日出会ったマドリード在住の人々の顔が浮かんでくる。あいつらは今頃家でゆっくりシャワーでも浴びているのではないか?ふかふかのベッドでゆっくり眠りについているのではないか?と考えれば考えるほど恨めしくなっていく。グラナダ組は用もない空港で睡魔と闘いながらコーヒーを飲んでいるというのに。

なんとも埋めようのない格差を感じだ瞬間であった。

 

それにしても長い一日だった。朝9時のバスでマドリードへ乗り込んできて、15時から会場入りし、25時過ぎに解散になり朝まで空港で粘り、また5時間かけてグラナダへ帰る。

濃厚な一日だったが、結局映画にはまったく映っていないらしい。

まぁエキストラなんてそんなものだろう。

それでも面白い体験だったので大満足だ。

 

※夜中の空港の嫌な思い出を綴ったブログはこちら

 

tokiotamaki.hatenablog.com