スペインに惚れました

10年暮らした愛しのスペイン私の独断と偏見に満ちた西方見聞録

いつか

やらないとわかっているが、やってみたいなと思うことがある。

それはカミ-ノ・デ・サンティアゴ(サンティアゴ巡礼)だ!

スペイン北西部にある聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラを目指す巡礼の旅。

私はキリスト教ではないけれど、それぞれの事情を抱え黙々と聖地を目指して巡礼する人を見聞きするととても心惹かれるのだ。

 

興味があるのでサンティアゴ巡礼に関する本を読んだり、ブログを読んだりする。

そして「あぁ、私も歩いてみたいな」と思うと同時に「私には絶対無理だな」と強烈に思うのだ。

 

サンティアゴ巡礼を歩いた巡礼証明書を発行するためには最低でも100キロ歩かなければならないのだが、本やブログで読んだ限り100キロなどとセコイ距離ではなく皆もっと長い距離を一ヶ月とかかけて巡礼している。一番巡礼者が多いと言われているのはフランス国境付近から始める「フランス人の道」全行程なんと760キロ!

スペイン人はもとより世界中の人がそれぞれのペースでそれぞれの思いと共に歩き、一期一会の出会いがあったりハプニングがあったりしながら聖地サンティアゴに到着する姿は神々しい。

 

しかし、私は歩くのが嫌いだ。

こんな発言をしてしまった時点でもうすでに巡礼する資格がない。

 

巡礼者たちは必ずと言っていいほど足にマメができたり肉離れをおこしたり満身創痍になる。トレーニングをして準備をしてきた人でも満身創痍になってしまうのなら、私のようなへなちょこが行ったらどうなってしまうのだ!

そしてさらに問題なのは泊まる場所だ。

巡礼者たちが泊まるという宿は隣の人のイビキが凄くて眠れなかっただとか、ダニに刺されて大変だったとか、昼過ぎに着いたら既に満室で隣の町まで歩く羽目になっただとか、シャワーの争奪戦とか洗濯物を干す場所の争奪戦とか20キロも歩いてからもなお戦わなければいけないなんて読んでいるだけで疲弊する。

 

しかし、巡礼に行った方々はこんな苦労が勲章だと言わんばかりに惜しげもなく苦労話ばかりを書き連ねる。

そして苦労やハプニングが多ければ多いほど読み物として面白い。真面目な話より面白い話が好きなので結局ハプニング満載のサンティアゴ巡礼の旅の本やブログばかり読む羽目になり、「私には無理だな」という結論に達するのだ。

 

やりたい気持ちよりやりたくない理由の方が圧倒的に多い巡礼の旅だが、実は巡礼していないのに最終目的地の聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラの大聖堂には行ったことがある。

友だちを訪ねてサンティアゴ・デ・コンポステーラへ行った時、街を散策していると巡礼者らしい人たちがチラホラ歩いていたのでなんとなくついて行ってみるとそこが大聖堂だったのだ。

 

その頃はサンティアゴ巡礼に関してあまり興味がなかったのでよくわからないまま大聖堂に入っていったのだが、中にはたくさんの巡礼者たちがいてミサが行われていた。

天井から吊るされた巨大な香炉(なんと80kgもあるらしい)が振り子のように振られ香の匂いが教会を包むと周りにいた巡礼者たちは感慨深そうにしていた。

 

私は儀式に感動しながらもズルしてここにいるような、何とも言えない居心地の悪さを感じた。周りの皆が何キロも歩いてやっとたどり着いた聖なる地に私はひょいと電車で来て散歩のついでにたどり着いてしまったのだ。しかもこの巨大香炉の儀式は特別な日しかしないのに、たまたま来たらやっていたというなんともラッキーな展開。

 

なんの苦労もなくこの場にいる私がこんなに感動する儀式なら、苦労した末にこの聖地にたどり着いた巡礼者たちが感じている感動はどれほどのものだろうかと思う。

これが私がサンティアゴ巡礼に興味を持った瞬間だ。

いつかそっちの立場になってこのミサに参加してみたいなと思った。堂々とヤコブの像にキスできるように。

 

760キロは無理でもせめて100キロ。

へなちょこなのに苦労話だけはいっちょ前なハプニング満載のサンティアゴ巡礼の旅ブログをいつか書ければいいなと思う。

言霊

「ロト6当たらないかなぁ~」と、声に出して言ってみる。

「いや、絶対いつか当たる!」とも言ってみる。

言葉にすると現実になりそうな気がするので、とりあえず現実になって欲しいことは言ってみることにしている。

何故ならば、「言ってみるものだな」と思ったことが私の人生では意外と多いからだ。

 

特にスペインで暮らしていた頃はそんな事がよく起こった。

 

スペインで何か欲しいものがあったり、何か探している場合はとりあえずたくさんの人に「仕事を探している」とか「○が欲しい」と言いふらすべきである。そうすると、人づてに聞いた人から「○が欲しいんだって?」とか「どこどこで募集しているよ」などと教えてもらうことが出来る。

コネ社会のスペインでは人からの紹介で仕事をゲットすることも多い。私はこの方法でドライヤーから一人暮らしの物件、そして仕事まで手に入れた。

 

留学生時代、シェアハウスのドライヤーの風圧が気に入らず「風圧の強いドライヤー欲しいんだよね」と会話の授業中に発言したら数日後に「風圧の強いドライヤー欲しいんだって?」と帰国する人からドライヤーのお下がりをもらった。

まさにドライヤーを買いに行こうと思っていた日に棚から牡丹餅だ。

 

そしてその頃、そろそろ一人暮らしがしたいなと漠然と思っていたのだが、学生ビザで滞在している身分だとなかなか一人暮らしの物件を見つけることが難しい。基本的に賃貸契約は最低一年契約らしいが、半年後に自分がどこにいるのかわからない。

叶わぬ夢と知りつつも「一人暮らししたいんだよね~」とことあるごとに呟いていたある日、「一人暮らしの物件探しているんだって?」と他のクラスの人に声を掛けられた。なんでもその彼女は急に日本に帰国することになってしまったので、代わりに入居してくれる人を探しているというのだ。「とりあえず家を見てみる?」と言われついて行ってみると、なんてゆーことでしょう!それはそれは素敵な物件が私を待っていたのでありました!しかも家賃がその頃住んでいたシェアハウスより安い!これはもう即決するしかない!「ここに住みたい!」と宣言すると早速大家さんがやってきて「保証金として家賃の一か月分払ってくれる?そしたら契約書の彼女(前の住人)の名前をあなたの名前に変えるだけでオッケーよ!」とあっさり交渉成立。私が払った保証金は大家さんの手を素通りし、帰国する彼女への保証金返金へと当てられ全員ご満悦。

 

こんなことってあるだろうか?家を譲ってくれた彼女とはその時が初対面だった。人づてに私が家を探していることを聞いて尋ねてきてくれたのだ。

ただただ願っているだけでなく、言葉にして言ってみるとその言葉が風に乗り色々な人に行き届き、最終的に願いが叶うなんて素晴らしい!

 

考えてみると、スペインで引っ越した物件の半分以上は紹介物件だ。自力で一から探した物件の方が少ない。

こんな風に棚から牡丹餅式に願いが叶った経験があるとついつい次も次もと期待してしまう。

 

このブログを書きながらふと銀行の残高チェックをしてみたら、なんとネットで自動購入しているロト6の当せん金の入金を発見!

 

「振込 タカラクジトウセンキン 1000円」

 

う~ん・・・1000円かぁ。

 

これからは「ロト6で一等2億円が当たりたい!」と呟くことにすることに致します!

 

2019年、夏

日本に完全帰国してからも年一回はスペインへ行っていたのだが、コロナのせいでここ2年スペインに行けていない。最後にスペインに行ったのは世界中が大騒ぎになる前の2019年の夏だ。

 

私が今働いている会社は夏より冬の休みが長いのでいつもは年末にスペインに行っていたのだが、その年は夏に行くことにした。

年末年始のスペインはクリスマスシーズンで楽しいのだが、やっぱり寒いスペインではなく暑い青空の似合うスペインが恋しかったのだ。しかも私はいつも友達に会いにマドリードとイビザに行くのだが、冬のイビザはびっくりするぐらい何もない。のんびりとしたイビザが大好きではあるが、ゴーストタウンのようなイビザしか知らないなんてちょっと変わっている。夏本番のこれぞイビザという人で溢れたイビザを見てみたい。夏のイビザを知らずしてイビザ好きと公言するのもいかがなものか!と熱い思いを胸に真夏の旅行に出かけたのだ。

 

今回はせっかくなのでスペインの他にポルトガルにも足を伸ばすことにした。

ポルトガルリスボンポルト、スペインのイビザ島とマドリードへの旅行。女3人現地集合現地解散の旅だ。3人とも東京に住んでいるのに現地集合なのは、それぞれの予定やらマイルやら大人の事情を考慮した結果だ。

到着時間もバラバラなら帰る日もバラバラ。リスボンポルトまでは3人でその後2人になりイビザにマドリードで私は帰国。友達はマドリードの後バルセロナに寄って帰国という三者三様の旅。

 

集合の地はリスボン

私にとってリスボンはこれで3回目だが、行く度に観光客が増量している。

今回は初めてリスボンから少し足を伸ばしてシントラという街まで行ってみた。ユーラシア大陸最西端のロカ岬や一風変わった建築様式のペーナ宮殿などが有名な街だ。

 

リスボンでも人が多いなと思っていたが、シントラはその倍人が多かった。街全体がディズニーランドのようにそこにいる人すべて観光客!バスも、宮殿に入るのにも行列。いろは坂並みにくねくね曲がる道を経てやっとの思いでたどり着いたロカ岬は霧に覆われせっかくの景色は台無し。大陸最西端の証明書を発行してくれる事務所とお土産屋以外何もないので次のバスを待ってUターンするというただの時間の無駄としか思えないロカ岬だった。しかし、旅にハプニングは付き物だ。晴れたロカ岬はそれはそれは素晴らしいのだろうが、霧のロカ岬だってそれなりに思い出になる。(と、強がってみる)

 

それにしても、何回来てもリスボンは素晴らしい。街がコンパクトで観光や散歩に適しているし、何を食べても美味しい。

リスボン最高!などとはしゃいでいたら、次に行ったポルトがもっと最高で驚いた。

ポルトポルトガルの北に位置するポルトガル第二の都市。日本ではポートワインで有名だ。

 

私はこの街にすっかり魅了されてしまった。街を散歩しながら「ここ、住める」と何度も思った。好きな街と住みたい街というのがあると思うのだが、ポルトは私にとって両方を兼ね備えている。ポルトに行ったことのある人ほぼ全員がポルトはいい所だったと言っていたのも納得だ。リスボンに比べて観光客がまだ少ないのも丁度良い。(とはいえ、ハリーポッターで有名な本屋さんは異常な混雑ぶりだったけど・・・)

 

そして旅は3人から2人になり私たちはイビザ島へ向かった。イビザの空港に着いて一番驚いたのは空港の活気だ。冬のイビザの空港は2、3軒のお土産屋しか営業しておらず、旅行者も少ないのでガラーンとしているのだが、夏の空港はまるで別世界!全てのお店がオープンしていて観光客も盛りだくさん。

なるほど。これが夏のイビザか。

冬には運行していないバスもたくさん走っている為、いちいち友達に迎えに来てもらわなくてもホテルまで行ける。そして冬はゴーストタウン化している地区にまでバスは走り、隅々まで人で賑わっているのだ。

常連客しか来ないと思っていた友達のレストランも夏は大繁盛で話しかける暇もなく、閉店後は疲れてぐったりしている。バスで見かけた地元の人らしき人達も連日のお仕事でぐったりしているご様子だ。夏のイビザの人々はとてもよく働く。冬は動きがゆっくりなのに夏はこうも機敏に動くのか!と感心してしまうほどだ。

 

活気のある夏のイビザにいると「あ~、私今バカンスを満喫している~!」と気分が上がるが、海で泳ぐことも怪しいパーティーにも興味のない中年女にとってはいささかもったいない感じもする。たくさんの人と音楽を聴きながら沈む夕日を眺めるチルアウトもよかったけど、人の少ない田舎っぽいイビザの方が私には落ち着く。

とは言え、本来のイビザを知ることが出来て大満足だ。もう思い残すことはない。

 

そしていよいよ最終目的地のマドリード。私の第二の故郷だ。

しかし、ここまでの旅でかなりの体力を消耗し疲労困憊。友達にもマドリードに入ってから明らかに顔が疲れていると指摘を受ける。私の愛するマドリードを全力で友達にプレゼンするはずだったのに、住み慣れた街に帰ってきた安心感で私は一気に腑抜けになってしまった。したがってマドリードで撮った写真の私は半目だったりしていて明らかにポルトガルの時のような生気は感じられない。しかも8月のマドリードは閉まっている店も多く観光客も少ないため「一足先にバカンスから帰ってきた地元民」のような気分になってしまい、もはや観光をする気力もなくなってしまった。

 

もしあの時、その後の世界が未曽有の惨事に見舞われ旅行すらできない世の中になることを知っていたら、もっときちんとマドリードを観光したのに。会いたい人全員に会っておけばよかったし、大好物も全部食べるべきだった。

「またすぐ来られる」と信じて疑わなかったのに、気が付けばもう二年も経ってしまった。

 

半目で過ごしたマドリードには若干後悔が残るが、それでも世界がまだ【ノーマル】だったあの夏にポルトガルとスペインで過ごせたことは本当に貴重だった。

商売魂

私はほんの少しだけ韓国語を知っている。

「話せる」わけではない。

物を売る時に必要な最低限の韓国語の単語を知っているだけだ。

私がマドリードで働いていた店はアジア圏の観光グループがたくさん買い物に来ていたので必然的に覚えざるを得なかったのだ。

 

日本がバブルで潤っていた時代はたくさんの日本人観光グループが買い物に来ていたらしく、スペイン人のベテランスタッフ達は必至で日本語を覚えて接客したらしい。英語で接客するより例えカタコトでも日本語で接客した方が何倍も売れるのだ。

バブル時の日本人観光客の買いっぷりは凄まじかった!とよくベテラン達から聞かされたものだ。バブル崩壊後売り上げは落ちたものの日本人観光客は相変わらず上顧客だったので、この店では新人が入る度簡単な日本語を覚えるのが必須になっていた。

複雑な説明や困った時は日本人の私が呼ばれるが、私が間に入らなくても結構みな覚えた日本語を駆使して頑張って接客していた。

 

しかし、その頃日本人観光客を越え新たな上顧客として台頭してきたのが韓国人観光客であった。

ひと時のバブル時の日本人を思わせる買いっぷり。商機を逃すまいと私たちは必至で韓国語を覚えたのだ。

商魂たくましい限りである。

 

当時私が知っていた韓国語は「アンニョンハセヨ こんにちは」と「カムサハムニダ ありがとう」の二つだけだったが、これでは何も売れない。

 

そこでまず覚えたのが値段の言い方。商品を買いに来る客が一番知りたい情報だ。

数字を覚え、電卓で韓国ウォンだと幾らか計算し伝える。あとは誉め言葉と「安いよ~」の一言。これで一応何とかなる。

韓国人攻略のコツはそのグループのリーダー格のおば様を味方につけることだ。このおば様を落とすことが出来たら芋ずる式に皆おば様が買ったものを真似して買うという傾向が強い。

 

あとはどの国でもそうだが添乗員さんの手腕で売り上げは大きく変わる。店に来る道中の添乗員さんの巧みな口添え一つが絶大な効果をもたらすのだ。

 

私の母はスイスだかドイツだかに旅行に行った時に何枚もお城の絵が描いてあるタオルハンカチを買ってきたことがある。なんでこんなに買ってきたのかと尋ねると「凄く楽しい添乗員さんがお勧めしていて、みんながこぞって買い出したから釣られて買っちゃった」とのこと。

そもそもスイスだかドイツだかのお土産としてハンカチってどうなんだろうか?現地の人でこのハンカチを使っている人っているのだろうか?などと色々疑問は抱くものの旅のお土産として楽しい思い出と共に母が満足しているのなら私は何もいう事はない。

密かに心の中でそのやり手の添乗員さんにあっぱれと拍手を送るのみだ。

 

それにしても、韓国人への接客は勢いと少しの単語でなんとか切り抜けていた私だが、中国人観光客には苦労した。

まず、同僚に何度中国語を教えてもらっても発音が難しくてなかなか通じない。私にはどうも中国語の才能はまったくないようだ。中国語できちんと伝わったのは「メイヨ―(無いよ)」ぐらいしか覚えていない。

中国人観光客は中国語を話せるスタッフにしか心を開かない傾向があるので、英語が話せる客でも最後の支払いの時は必ずと言っていいほど中国語を話せるスタッフが呼ばれる。中国人の観光客が増えどこの店でも中国人のスタッフを雇っているのはきっとこのせいだと思う。

 

中国語の発音が出来ない私は漢字を書いてどうにか接客してみるもののあまり売り上げには繋がらなかったのだが、スペイン人のベテランスタッフは中国語ですら勢いで通じさせるという力技で売り上げを伸ばしてゆく。

物を売るという目的のためだけに開花した才能をいかんなく発揮し、日本語、韓国語、中国語、英語を自由自在に操る姿は神々しい。

 

そういえば、コロナ前の観光客でにぎわっていた浅草や築地場外売り場のおばちゃんたちも色んな言語を駆使して元気に物を売りさばいていた。

どこの国であっても商売人というのは逞しいのだ。

 

駄菓子

駄菓子屋というものは日本だけのものかと思っていたが、スペインにも似たようなものが存在する。何を持って日本だけの風景だと思い込んでいたのかはわからないが、スペインでも子供が小銭を握りしめて駄菓子を買うという事を知った時はなんだか妙に親近感が沸いた。

 

スペインでは駄菓子屋のことを「チュチェリア」と呼ぶ。何とも可愛い言葉の響き。

量り売りされているのは色とりどりのゴロシーナと呼ばれるグミみたいな甘くて弾力のあるお菓子。ちょっと酸っぱいやつとか、なぜか目玉焼きの形をしたやつとか、砂糖をまぶして平べったいひも状になったやつとか、なかなか表現に困る代物ばかりだ。      だいたい子供が喜ぶ食べ物というものは合成着色料がっつりで砂糖どっぷりのいかにも体に悪そうな代物だという事は世界各国変わらない。

 

チュチェリアには甘いグミ系の商品の他にもガムや飴、ドライフルーツやナッツ類、そしてスナック菓子など子供が喜ぶお菓子がたくさん売られている。いや、喜ぶのはなにも子供だけではない。マドリードで働いている頃、同僚とランチを食べる店の近くにチュチェリアがあったのでよく帰りに立ち寄って駄菓子を買ったが、大の大人であろうとも小銭を握りしめて何をどれだけ買うかと真剣に頭を悩ませる姿は子供の頃と何ら変わらないのだ。

 

私の生まれ育った場所は東京の東側で、小学低学年の頃までは「紙芝居屋さん」なるものがまだ健在していた。

私の年代で「紙芝居屋さん」を体験している人はとても少ない。「紙芝居屋さん」とは自転車に紙芝居と駄菓子を積んだおじいちゃんがやってきて子供を集め、水あめやソースせんべいなどを買ってくれた子供たちに紙芝居を聞かせてくれるという代物だ。

正直言っておじいちゃんの読む紙芝居は月光仮面など当時の私ですら「古すぎ~!」と突っ込みたくなるような一昔前の物語ばかりだったので話自体はあまり面白くなかったのだが、声色を変え臨場感たっぷりに話を読んでくれるおじいちゃんの演技は子供ながらに興奮したのを覚えている。

30円や50円そこらで味わえるおじいちゃんの熱演。私にとって人間国宝だ。

 

そう言えば昔はこの手の移動販売がたくさんあった。

豆腐屋さんや、日石灯油、チャルメラのラーメン、石焼き芋。どれも独特な音楽や掛け声でお客を呼び寄せる。

日石灯油の「日石灯油でほっかほか~日石灯油だもんね!」は今でも歌えるし(それにしても「だもんね!」って凄い歌詞だなぁ。私の記憶違いかと思ったがYOUTUBEで探したら「だもんね!」とちゃんと言っていた)

ホットドック屋の「ホット~ドック~、ホット~ドック~」の曲も頭から離れない。今買わなければ次にいつ会えるかわからないという神出鬼没さが移動販売の魅力だ。

 

スペインではあまりこの手の移動販売には遭遇しなかった。

屋台とか出店のような形態は結構あるが、本当に移動しながらというスタイルは、ぴーひゃらぴーひゃらと自転車で来る刃物の研屋さん(包丁やハサミを研いでくれる)と、マドリードのバジェカスという地域に出没していたメロンの移動販売ぐらいしか記憶にない。軽トラでメロンを販売しに来るおじさんが「安いぞ!安いぞ!最高のメロンがこの値段!買わなきゃ損だぞ!」とやたらとドスの効いたダミ声で叫んでいた風景はバジェカスと言うガラの悪い地域の印象と見事にマッチしていて妙に微笑ましい。(バジェカスはマドリード市内の中でもガラが悪い地域として有名だが、4、5年住んでいた私にとっては住みやすい思い出の土地だ)

 

私の遠い記憶の「紙芝居屋さん」を思い出すからなのかわからないが、例えドスの効いたダミ声であっても移動販売に出会うと何故だかウキウキしてしまう私であった。

バカシオネス

8月のマドリードは閑散としている。なぜなら皆マドリードを脱出して夏の休暇へと旅立ってしまうからだ。

スペインの会社では大抵7月または8月に約一ヶ月の休暇が与えられる。海などの夏に人気の観光地以外のバルや商店などでは二週間から一ヶ月の休暇を取りシャッターを閉めてお店を開けないなんて所も結構ある。

 

スペイン人にとってバカシオネス(夏の休暇)はとても大切なものでバカシオネスのために一年働いているといっても過言ではない。

春のセマナサンタ(イースター)が終わったら心は夏のバカシオネスに向けて一直線となり、夏の到来と共に職場にはソワソワ感が漂い今年はどこそこへ行くという話ばかりが話題を占める。そしてバカシオネス後の一か月はバカシオネスの思い出話が続く。

一年の中でバカシオネスが心を占めている割合が高すぎる。

 

私の同僚たちの一年の月別思考回路は毎年こんな感じだった。

 

1月 クリスマスで食べまくり太ってしまった。ダイエットをしよう!

2月 ダイエット始めます。セマナサンタどーしようかな?

3月 やっと冬時間が終わるー!イエーイ

4月 日が長くなったのでテラスでの一杯が最高!バカシオネスどーしよう!

5月 日焼け!テラス!日焼け!バカシオネスのプラン立てます!

6月 日焼け!テラス!バカシオネスの準備!

7月 日焼け!プール!バカシオネスへのカウントダウン!

8月 はい来た!バカシオネスー!!! イエーイ!

9月 日焼けを眺めてバカシオネスの思い出に浸る

10月 クリスマスの宝くじに当たったら何買う?

11月 クリスマスの宝くじあっちの店でも買っておこう。クリスマスのプレゼント何にしよう?

12月 クリスマス!クリスマス!クリスマス!

 

本当に毎年こんな感じ。夏休みを指折り数えて心待ちにする姿はまるで小学生のようだ。

しかしこのルーティン、乗っかってみると案外楽しい。

バカシオネスとクリスマスが一年を支える柱となってメリハリをつけてくれるので7月になって「えっ!もう半年以上経ったの?ついこの間年が明けたのに?」なんてことにはならない。(こんな人間は私だけかしら?)

 

スペイン人の代表的なバカシオネスの過ごし方は海辺の家(別荘や貸家やアパートホテル)でのんびりすること。日焼けをしながら本を読み、暑くなったら海に入り、お腹がすいたら家に帰る。そして日が落ちたら散歩をし、一杯ひっかける。これの繰り返しだ。

あとは海外旅行も定番中の定番。長い休みを利用してちょっと遠い国まで足を伸ばす人も多いし、若い子はプチ留学をする人もいる。皆思い思いにそれぞれのバカシオネスを目一杯満喫するのだ。

 

なんだか楽しいことだらけのバカシオネスだが、バカシオネスに伴う弊害も起きる。

まず、バカシオネスの期間中はありとあらゆる場所で仕事が停滞する。電話で問い合わせても「担当者が夏休みなのでわかりません」とあっさり言われてしまうのだ。しまいには「担当者が戻ってくる一か月後にまた連絡ください」などと電話を切られる。

一か月は長い。お役所関係も業務はストップし、申請は宙ぶらりんにされたりする。

日本人からすると驚きの連続だが、現地の人は毎年のことなので誰もなんとも思っていない。

「不便だけどしょうがないよね、だってバカシオネスだもん」と肩をすくめて終わりだ。

こういう事にかけてスペイン人はとても心が広い。一か月の休みが人を寛大にさせるのだろうか?

 

日本に帰ってきてからというもの日に日に心が狭くなってゆく私に足りないのは一か月の休暇だったのか・・・

寛大な人間になるために私にも是非お休みを下さい。

揺れる床

日本でスペインでの生活などを友達に話す時、口にするのが恥ずかしくなる単語がある。「Discotecaディスコテカ」だ。

「ディスコ」の響きがやけに古めかしく、気恥ずかしさがこみ上げる。

40歳を過ぎた私ですら音楽に合わせて踊る場所というものはもう既に「ディスコ」から「クラブ」へと呼び方が変わっていた。「ディスコ」なんてバブル崩壊前の言い方だ。

しかし、スペインではそんな日本とは関係なく今も昔も「ディスコテカ」は「ディスコテカ」なのだ。

しかも、全く違う単語とか音ならいいが、「ディスコテカ」と言えば「ディスコ」のことなのだと容易に想像がついてしまうのもやっかいだ。ついついスペインに居た時の癖で「ディスコテカ」と言ってしまう自分が怖い。

しかし、スペインの「ディスコテカ」を「クラブ」と訳すのはどうにもしっくりこないので、少々気恥しいが「ディスコテカ」と言い続けさせてもらう。

 

日本の「クラブ」に比べスペインの「ディスコテカ」はもっと身近な存在だ。

「ディスコテカ」に一度も行ったことがないスペイン人はまずいないだろう。どんなに嫌いでも一度は通る道それがスペインにおいての「ディスコテカ」だ。たぶん日本でいうカラオケボックスのような存在だろう。

 

それにしても、音楽に身をゆだねて踊る行為を得意とする日本人はとても少ない。

私が見た限り日本人だけではなくアジア人全般的に不得意なのではないかと思う。音楽が聞こえてきたらそこがどこであろうと反射的に腰でリズムを取り思わずステップを踏んでしまう国の人々とはベースがまるで違うのだ。

 

スペインにはたくさんの中国人が暮らしているのだが、ディスコテカではあまり見かけない。そこで当時の同僚だった中国人のジンちゃんに中国人はスペインでディスコテカに行かないのか?と聞いてみた。

彼女曰く、普段はあまり行かないけど、年に一度中国人がディスコテカに集まる日があると教えてくれた。

それは、なんとクリスマスイブ!

スペイン人にとってクリスマスは家族で過ごすイベントのためその日のディスコテカにはスペイン人は来ないらしい。スペイン人の来ないクリスマスのディスコテカは中国人で一杯になるのだとか。(ジンちゃん情報なので裏は取れていませんのであしからず)

 

でもジンちゃんは「マドリードのディスコテカは踊れないから好きじゃない」と言っていた。人が多くて踊れないという意味だろうか?

「床があんなのじゃ踊れないわよ!」と言うジンちゃん。床の種類について文句を言うなんてもしやジンちゃんはその道のプロなのか?!と思ったがそうではない。

「私が中国で通っていたディスコテカの床は揺れるのよ!ダンスフロアの床はトランポリンみたいになっていて立っているだけで音楽に身を任せて踊っているみたいになるの!!!」

な、な、なんと!

踊れぬならば床をボヨンボヨンにして、さも踊っているかのように勘違いさせてくれる魔法の床にしてしまうとは!

ジンちゃんの説明では床が揺れに揺れるので面白くてダンスフロアに行くとみんな大笑いで上下に揺れているらしい。凄い発想だ。私ならお酒を飲んでそんな床の上にいたら速攻吐きそうだ。

「あの床ならガンガン踊れるのに~」というジンちゃん。果たしてそれは踊っていると呼べるのか?

「あの床じゃなければ踊れない」ということはほぼ全世界のディスコテカで踊れないということだぞ、ジンちゃん!

 

ジンちゃん、元気にしていますか?

ジンちゃんに会ったら揺れる床がなくても踊れるようになったか是非聞いてみたい。