商売魂
私はほんの少しだけ韓国語を知っている。
「話せる」わけではない。
物を売る時に必要な最低限の韓国語の単語を知っているだけだ。
私がマドリードで働いていた店はアジア圏の観光グループがたくさん買い物に来ていたので必然的に覚えざるを得なかったのだ。
日本がバブルで潤っていた時代はたくさんの日本人観光グループが買い物に来ていたらしく、スペイン人のベテランスタッフ達は必至で日本語を覚えて接客したらしい。英語で接客するより例えカタコトでも日本語で接客した方が何倍も売れるのだ。
バブル時の日本人観光客の買いっぷりは凄まじかった!とよくベテラン達から聞かされたものだ。バブル崩壊後売り上げは落ちたものの日本人観光客は相変わらず上顧客だったので、この店では新人が入る度簡単な日本語を覚えるのが必須になっていた。
複雑な説明や困った時は日本人の私が呼ばれるが、私が間に入らなくても結構みな覚えた日本語を駆使して頑張って接客していた。
しかし、その頃日本人観光客を越え新たな上顧客として台頭してきたのが韓国人観光客であった。
ひと時のバブル時の日本人を思わせる買いっぷり。商機を逃すまいと私たちは必至で韓国語を覚えたのだ。
商魂たくましい限りである。
当時私が知っていた韓国語は「アンニョンハセヨ こんにちは」と「カムサハムニダ ありがとう」の二つだけだったが、これでは何も売れない。
そこでまず覚えたのが値段の言い方。商品を買いに来る客が一番知りたい情報だ。
数字を覚え、電卓で韓国ウォンだと幾らか計算し伝える。あとは誉め言葉と「安いよ~」の一言。これで一応何とかなる。
韓国人攻略のコツはそのグループのリーダー格のおば様を味方につけることだ。このおば様を落とすことが出来たら芋ずる式に皆おば様が買ったものを真似して買うという傾向が強い。
あとはどの国でもそうだが添乗員さんの手腕で売り上げは大きく変わる。店に来る道中の添乗員さんの巧みな口添え一つが絶大な効果をもたらすのだ。
私の母はスイスだかドイツだかに旅行に行った時に何枚もお城の絵が描いてあるタオルハンカチを買ってきたことがある。なんでこんなに買ってきたのかと尋ねると「凄く楽しい添乗員さんがお勧めしていて、みんながこぞって買い出したから釣られて買っちゃった」とのこと。
そもそもスイスだかドイツだかのお土産としてハンカチってどうなんだろうか?現地の人でこのハンカチを使っている人っているのだろうか?などと色々疑問は抱くものの旅のお土産として楽しい思い出と共に母が満足しているのなら私は何もいう事はない。
密かに心の中でそのやり手の添乗員さんにあっぱれと拍手を送るのみだ。
それにしても、韓国人への接客は勢いと少しの単語でなんとか切り抜けていた私だが、中国人観光客には苦労した。
まず、同僚に何度中国語を教えてもらっても発音が難しくてなかなか通じない。私にはどうも中国語の才能はまったくないようだ。中国語できちんと伝わったのは「メイヨ―(無いよ)」ぐらいしか覚えていない。
中国人観光客は中国語を話せるスタッフにしか心を開かない傾向があるので、英語が話せる客でも最後の支払いの時は必ずと言っていいほど中国語を話せるスタッフが呼ばれる。中国人の観光客が増えどこの店でも中国人のスタッフを雇っているのはきっとこのせいだと思う。
中国語の発音が出来ない私は漢字を書いてどうにか接客してみるもののあまり売り上げには繋がらなかったのだが、スペイン人のベテランスタッフは中国語ですら勢いで通じさせるという力技で売り上げを伸ばしてゆく。
物を売るという目的のためだけに開花した才能をいかんなく発揮し、日本語、韓国語、中国語、英語を自由自在に操る姿は神々しい。
そういえば、コロナ前の観光客でにぎわっていた浅草や築地場外売り場のおばちゃんたちも色んな言語を駆使して元気に物を売りさばいていた。
どこの国であっても商売人というのは逞しいのだ。