スペインに惚れました

10年暮らした愛しのスペイン私の独断と偏見に満ちた西方見聞録

Hospital de día/デイホスピタル

スペインでの入院模様は以前ブログで書いたが、今回は退院後に通ったデイホスピタルでの出来事について。

 

突然の入院と同じく、退院も突然だった。

入院から二週間でやっと病名が判明し、治療が始まった矢先の退院。まだまだ痛みもあるので退院はまだ先だと思っていたのだが、あまり長く入院すると逆に体に良くないと説明された。

上げ膳据え膳で入院していると自力では何もできない体になってしまうらしい。確かに体力が著しく落ちていることは自分でも自覚していた。一番驚いたのはトイレで踏ん張ろうと思っても踏ん張れないことだった。たかだか三週間ぐらいの入院生活で踏ん張れないほど腹筋が退化するとは思いもよらなかった。

という事で、リハビリもかねて自宅から通院する形で治療を続けることが最善と判断され、痛みが残るままあっさりと退院することになったのだ。

 

通院で通ったデイホスピタルなるものは入院していた病院の中に併設されている施設で、私のような難病の点滴治療やがんの抗がん剤治療などにも使用される。

病院内は歯医者にあるようなリクライニングチェアが点在していて、テレビも所々に設置されていた。

受付を済ませると看護師がその日分の点滴薬を用意し、本日のメニューはこちらですと言わんばかりに目の前に点滴をずらっと並べてゆく。全ての点滴を打ち終わるまで大体7,8時間。

 

長丁場なので本や携帯、タブレットなどを持ち込み時間をつぶす。テレビもあるので退屈はしない。お昼には簡単な軽食も配られるので至れり尽くせりだ。

 

二度目の通院の時、私の席がちょうどナースステーションを見渡せる位置にあったのでぼーっと看護師たちの動きをそれとなく観察することにした。

 

一台のパソコンの調子が悪くなったようで一人の看護師が悪戦苦闘していた。すると別の看護師が倉庫にいるヘススに聞けば治ると思うから倉庫に行ってみれば?と言うので看護師はその場を離れ倉庫へ向かっていった。

すると助言した看護師もその場を離れ、しばらくパソコンの周りには誰もいなくなった。

そこへ何も知らない看護師が現れ、またパソコンの不具合に悪戦苦闘しだす。

ヘススを呼びに行ったはずの看護師は倉庫からタオルなどの備品を持って帰ってきたが、肝心のヘススは一緒ではないようだ。しかも、パソコンの不具合の事などまるで忘れている様子でパソコンを素通りして他の作業を始めている。

パソコンに悪戦苦闘している二人目の被害者はそのうち隣の看護師と昨日の出来事を話だし、ついにはパソコンをそのままにして席を離れてしまった。

 

一部始終を遠巻きながら見守っていた私は、問題のパソコンがなんにも解決されぬままそこに放置されているのをただただ眺めていた。ヘススとやらは一体いつパソコンを直しにくるのだろうか?

誰一人としてメモを残さないので結局その後も何人かがパソコンを触っては不具合に気づき他のパソコンへと去って行くという事を繰り返している。

そしてお昼を挟みとうとう勤務交代の時間になってしまった。

 

勤務交代時には業務の引継ぎがあるはずだから、遅番の人にはパソコンの不具合が伝わるのではないだろうか?と思ったが、どうやら私の見立ては甘かったようだ。その証拠に目の前のナースステーションではまた新たなパソコン被害者が頭を抱えて苦戦している。パソコンが朝から壊れていることと、倉庫にいるヘススならその不具合を治せるらしいという情報を教えてあげたいが、薬漬けで頭がボーっとしている私には荷が重い。

 

「問題放置プレー」はスペインの職場ではよく起こるが、自分が命を預けている状態では笑うに笑えない問題だ。自分の点滴をじっと見つめこの点滴は本当に大丈夫なのだろうかと疑心暗鬼になるが、正解がわからないので点滴をいくら見つめても不安は消えない。

 

そんなことを考えている間に、気が付くと問題のパソコンに一人の男性看護師が立っていた。ヘススだ!

おー!ヘスス!まさにジーザス!

 (※ ジーザス (Jesus) は、イエス・キリストの「イエス」の英語読みである。このため、映画や演劇などには「ジーザス」という言葉を多用した作品が多く存在する。また、「おお神よ」という表現や「神様!(助けてください)」という場面などに「ジーザス」ということもある。ラテン語読みでは、「イエズス」(教会ラテン語に基づく慣用)となる。スペイン語読みではヘスス(ヘスース)である。 出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』)

 

これでやっと午前中から続いているドタバタ劇が終わりを迎えることになるのだなと見守っていると、ヘススは少しパソコンをいじってみた後に静かに立ち上がり、紙にマジックで大きく✖と書いてパソコンに張りその場を立ち去っていったのだった。

 

抜本的な解決には至らないものの、パソコンが壊れているという事実を公にするという本日初めてのワンアクションのお陰でその後の混乱は避けられることとなった。

ヘスス!グッジョブだ!

 

遠い昔、小学生たちが8時だよ全員集合!を見ながら「志村後ろ!後ろ!」と叫んでいた気持ちが痛いほどよくわかる一日の出来事だった。

「人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見れば喜劇である」とチャップリンは言ったが、スペインは近くで見ても、遠くで見ても喜劇で溢れている。

 

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サイン/ Firma

子供の頃、秘密裏にサインを練習していた。

だれかに求められたわけでも芸能人になりたかったわけでもないが、何となくかっこいいサインが書きたかったのだ。しかし苗字と名前の漢字のバランスがサインに適さないのか何度挑戦しても自分の思い描くサインにはならない。

唯一無二のくしゃくしゃーっとしたかっこいいサインがどうしても書けない。

筆記体でも挑戦したのだが、Tの大文字の筆記体がかっこよく書けず、今に至るまで「かっこいいサイン」というものを持っていない。

結局パスポートもカードもサインは普通に漢字のフルネームだ。

 

スペインで暮らしていた時もサインは全部漢字でしていたのだが、画数が多いためサインをする時に人より時間がかかってしまい、そのせいでじっとサインを凝視されることが多かった。

アジア系でもサインに漢字を使う人が少ないのは漢字の方が書くのに時間がかかるからだろうか?

アルファベットを使う国に住んだらサインもアルファベットにするべきなのかな?と思ったこともある。

漢字で名前を書いたところで誰にも読めないなら意味がないかも?と思ったが、そもそもアルファベットで書いてあったとしても何を書いてあるのかわからない ぐしゃぐしゃのサインが横行する世の中において「読める」必要はどこにもないのだ。

 

ちなみに私のスペイン人の元カレのサインは正式な名前ではなくあだ名のサインだった。身分証明書の本名とは明らかに違う名前がはっきりわかるサインだ。

例えるならば、東京太郎が本名なのにサインは「小次郎」

初めて見た時は冗談かと思ったが、別にこれでもいいらしい。

本人曰く、ずっと「小次郎」と呼ばれているのだからサインも「小次郎」でいいのだ!とのことだ。

そういえば友達のロサも本名はロサではなかったがサインはロサだった。

スペインあるあるなのだろうか?

それとも私がたまたま特殊な人たちに遭遇しているだけなのだろうか?

 

調べてみるとサインはイニシャルだけでもニックネームでも例えそれが「絵」であっても問題ないそうだ。毎回同じように書けるならサインとして機能するということらしい。

我が国日本でもイラスト入りの判子は実印としては認められないものの、認印、銀行印としては使用が認められている。

わかったところでイラスト入りの判子を作る気もサインをニックネームにする気もさらさらないが、元カレや友達のサインが特別特殊というわけではなさそうなのでほっとした。

 

「毎回同じように書けるならサインとして機能する」とあるのだから、同じサインを使い続けるのが定石だと思うのだが、私のスペイン人の知り合いは何年かごとにサインを変えていたと記憶している。

新しいサインをひたすら練習している彼を見て「へぇ~サインって変えていいんだぁ」と漠然と思っていたが、変えない方がいいに決まっている。

 

友達は旦那のサインをよく偽造していたが、(犯罪だが笑ってスルーしてほしい) 

ある日提出しているサインと違うと指摘され偽造がばれたかとビクビクしたことがあるらしい。よくよく調べてみると、旦那が何かの記念に一瞬だけサインを変えた頃に契約していたため、解約時も同じサインが必要だったのだ。

しかし当の本人の旦那ですらそのサインを覚えていなかった。

やはりサインはコロコロ変えるべきではないのだ。

 

やっぱり次回のパスポートの更新も無難に漢字のフルネームのサインにするとしよう。

カフェ・フローリアン/in ヴェネツィア

スペインが大好きな私だが、イタリアも好きな国の一つだ。イタリア料理ははずれがないし、イタリア語の独特なイントネーションは耳心地が良い。

なんといっても私はBSで放送している「小さな村の物語イタリア」の大ファンなのだ。

しかし、イタリアには一度しか行ったことがない。しかもその一度の旅行もヴェネツィアフィレンツェのみの小旅行だ。

いつかローマ、ナポリシチリアをめぐる南イタリア旅行に行きたいものだ。

 

ヴェネツィアフィレンツェ旅行へ行ったのはスペインで暮らしていた2007年の冬だ。友だちが日本へ帰国する前の思い出旅行でヴェネツィアに本拠地を置き、フィレンツェにも足を延ばすという4泊5日の旅だった。

 

ヴェネツィアは「ザ・観光地」だった。街というよりヴェネツィアランド。

車が入ってこられないので余計にそういう気になるのかもしれない。運河と橋とゴンドラが非日常感を高める。ただ散歩しているだけで絵になる街並みだ。

 

友だちがヴェネツィアで絶対に行きたいと言い張ったのが、

世界最古のカフェ・フローリアンであった。

なんと1720年創業だそうだ。とにかく由緒あるカフェらしい。

しかし、外観はまぁ普通。スペインでも見かけるタイプのカフェテリアだ。

イタリアに来て少し残念だと感じたことは、街並みがスペインに似ているため(スペインがイタリアに似ていると言った方がいいのか?) 初めて見る風景なのに既視感があり若干感動が薄れる点だ。

カフェ・フローリアンはサン・マルコ広場の一角にあるのだが、この有名なサン・マルコ広場を歩きながらマドリードのマジョール広場を思い出してしまう自分が悲しい。

 

本場のカフェラテとティラミスを堪能しようと意気揚々と店内へ入ってみると、パリっとした立派なウェーターさんが出迎えてくれた。1800年代からほぼ変わっていないという内装や装飾も相まって一気に優雅な気分になる。

しかし、渡されたメニューを開いたとたん私の心臓は一分間停止した。

たかがコーヒーなのにべらぼうに高いではないか!

コーヒーとティラミスで19€もするのだ!

当時のマドリードのコーヒー一杯の値段は1€から1.5€だった。ケーキだってせいぜい5€ぐらいだ。

スペインの物価が染みついてしまっている身にケーキセット19€は痛い。

しかし、ここまで来て後には引けないので19€に動揺したことは封印してにっこり優雅にコーヒーとティラミスをオーダーする。

日本にいた頃は2000円のケーキセットだって動揺せずに注文できていたはずなのに、スペインで暮らしているうちに私の金銭感覚はずいぶん変化してしまっていたようだ。 恐るべし私の適応能力。

 

残念ながら19€もしたコーヒーとティラミスの味はまったく覚えていない。

まずかったら記憶に残るはずなので記憶にないということは可もなく不可もなくの味だったのだろう。

 

味はまったく覚えていないのだが、トイレは覚えている。

カフェのトイレは二階にあった。掃除の行き届いたきれいなトイレだったのだが、トイレ係のおばちゃんがいてチップを請求されたのだ!!!!

ケーキセットに19€も払わせておいてそれはないぜ・・・

まさかカフェテリア内のトイレでチップが必要だとは思いもしなかった。

イタリアに来てびっくりしたことは有料のトイレが多いことだ。スペインでは基本無料。お金を払ってトイレに行く感覚が備わっていないため、もちろんこの時も私は手ぶらでトイレに行ってしまったのだ。

トイレの入り口でチップを払わなければいけないバージョンなら席に戻ってお金を用意できたのだが、私がトイレに入った時には誰もいなかったのだ。

それなのに、用を済ませて手を洗っている所におばちゃんが現れたのである。

「お金を持ってきてないんだけど・・・」と訴えると不機嫌そうなおばちゃんは「しょうがないわね・・・行っていいわよ」としぶしぶ許してくれた。 

グラッツェグラッツェミーレ!!!

おばちゃんのお陰でカフェ・フローリアンの思い出が「19€」だけではなくなってよかった。

おばちゃんのお陰で外国でトイレに行くときは念の為小銭を用意するべきということも学べたし、本当にグラッツェグラッツェミーレだ!!!

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噂のティラミスとコーヒー

 

制服騒動

私がマドリードで働いていた免税店では制服が支給されていた。

制服といってもZARAや MANGOなどの服を皆でお揃いにしているだけの名ばかりの制服だ。この制服は年に二回変わるのだが、毎回毎回かなりの大騒動になる。

年齢は18歳から60歳まで幅広く、人種も様々、もちろん体系も様々、そして何より好みも様々な総勢16人以上の女子の集まり。全員が納得する制服に決まるまでの道のりは険しいのだ。

 

衣替えの季節(4月と10月)になると店長がZARAや MANGOなどの店から適当に何着か仕入れてくる。それをスタッフみんなであーでもないこーでもないと吟味するのだが、そこで毎回意見が対立する。

まず、第一の関門はパンツかスカートか問題だ。

ベテランのお洒落スタッフは毎回「スカートの方がエレガントだから」という理由だけでスカートを押してくる。しかーし!私たちの仕事はただ商品を売るだけではない!

商品の検品やらストックの整理やらでしゃがんだり踏み台に登ったりするのだ。スカートでは動きずらいではないか!とスカート反対派が声を上げる。

 

スカートの勝率を見てみると三回に一度くらいの割合なので若干スカートは分が悪いようだ。だが問題はスカートかパンツかという単純なことだけではない。

生地が薄いだの伸びないだの、色が気に食わないだの、店長が持ってきた服が可愛くないだの、文句とも言いがかりとも思える討論は続くのだ。

この制服選びにみんなが傾ける情熱は凄まじいものがあり、みんなそれぞれ自分が一番似合う服又は好きな服を全力で押してくる。

 

毎度毎度揉めるならいっそのことずっと同じ制服にすればいいのでは?と言ってみたことがあるのだが、全員から「楽しみを奪うな」と猛反対された。

なるほど。確かにこの衣替え騒動は半年に一度の一大イベントとして定着している。

こういうくだらない事、しかも年に二回もある出来事に全力で挑む馬鹿さ加減が仕事を長く続ける秘訣なのかもしれない。

しかし毎度のもめ具合に振り回される店長のストレスは限界に達しているように見えるので気の毒だ。

 

日本に帰国後もスペインへ行く度この古巣を訪れるのだが、毎回今期はどんな制服だろうか?といつも楽しみだ。

この制服はお局のごり押しで決まっただの、今回の制服はどこかのデパートの店員みたいだのと愚痴を聞くのも楽しい。

 

話は変わるが、18歳から60歳までの様々な体系の16人分の既製品をパッとすぐ揃えられるのがZARAをはじめとするファストファッションブランドの強みである。

豊富なサイズ展開、そしてターゲット層の幅の広さは天下一品。

ZARAにいたっては生まれた時から、いやママのお腹にいるときから老いていくまでZARAですべて賄えるのだ。驚きの商品展開である。

したがってスペインでは誰しも一枚はZARAの服を持っていると言っても過言ではない。さすが、スペインが世界に誇るスペインブランドだ。

母のひとり旅

私の母は三度スペイン旅行に行ったことがある。

 

一度目は娘(私)と初めての母子二人での海外旅行。

二度目は友だちとツアーに参加し、ついでにスペイン留学している娘(私)に会いにやってきた。

 

子供(私)が成人した頃から母のフットワークは軽くなっていった。もともとミーハーな性格なので海外には興味津々だったようだ。しかし母とは違い父はまるで外国に興味がない。娘がスペインへ留学に行くと行った時、「スペインはイタリアのどこだ?」と聞いてきたほどである。

そんな父はほっといて母は仲の良い友だちと海外旅行にどんどん行くようになった。

 

私が一人暮らしを始めたばかりの頃、北海道に旅行することを実家にも事前に知らせておいた方がいいだろうと思い飛行機の便名やホテルの連絡先などを手元に用意して母に電話をした。

「来週スノボーしに北海道へ行ってくる!」と少々自慢げに言ってみたのだが、

「あっそう、いいじゃない!お母さんは焼肉食べに韓国に行ってくるわ」と返された。

娘を超えてくる回答だ。

一見大人しそうに見えて時々予測不能な行動を取るので気が抜けない。

そして母にとって一番の大冒険が三度目のスペイン旅行だろう。

 

三度目のスペインは思い付きで決めた60歳にして初めての一人旅だった。

年末に父とケンカをした母は勢いでスペイン行のチケットを買い一月一日に一人でスペインへやって来たのだ。

 

その当時、スペインへの直行便はなかったので母はパリで飛行機を乗り換える必要があった。

しかも今回はツアーではなく個人旅行だ。スペインにさえ着いてしまえば私がいるので何とかなるが、パリの空港では助けられない。

「とにかく困ったら飛行機のチケットを見せて日本語でいいから聞きまくれ」とだけアドバイスを送る。

外国は子供と老人には優しいはずだし困っていたら誰かしら助けてくれるだろう。

そわそわと心配しながら到着ゲートで待つ私のもとへ満面の笑みを浮かべた母が近づいてくる。

「お母さん一人で来れたわよ!」と顔はいやに得意げ。60歳というより褒めてもらいたい子供のようだ。

長旅で疲れているはずなのにアドレナリンが出まくっているのか目はらんらんとしている。

 

一月一日に到着して七日に帰るという短い日程だったが、マドリード以外の都市に行く必要がないため正味五日しかなくても意外と充実できた。

ツアー旅行とは違うスペインの雰囲気や、娘のスペインでの日常生活が垣間見れて母は大満足のようだった。

スペインの洗濯機の時間のかかりっぷりに仰天したり、市場での果物の安さに感動したり、スーパーのレジ係が椅子に座ったまま接客している姿に驚いたりと、いちいち全てが楽しそうだった。

 

「家に着くまでが遠足」とはよく言ったもので、旅は最後まで気が抜けない。

楽しかった日々も終わり母が日本へ帰る日がやって来た。

マドリードの空港で母の搭乗手続きを手伝っていると、

「大雪のためパリでの乗継便が欠航となったので次の12時間後の便で日本に帰って下さい」と言われる。それならばパリ行の便も遅らせてもらおうかと思ったが、マドリードからパリまでの便は問題ないので却下された。12時間パリの空港で独りとは、なかなかな試練だ。

独りでスペインに来れたことに満足している母は調子に乗って

「空港に12時間いればいいんでしょ?問題ないわよ」と何故だか急にたくましくなって去って行った。

 

そわそわ落ち着きなく仕事をしているとパリに着いた母から電話が入る。

「パリは本当に雪降ってるわ~。たくさんお店があるからウロウロして時間潰しまーす!」とやたらと呑気な電話だ。やはりおばさんは肝が据わっている。携帯の充電がなくなりそうだからもう電話できないかもと言われていたのだが、数時間後母から電話が入った。

「充電できる場所見つけて携帯充電したの」と嬉しそう。しかも居心地のいいソファーがある部屋らしい。その部屋にどうやって入ったのか聞いてみると、スーツを着た日本人が入っていくので後を追って入ってみたらとても居心地の良い空間が待っていたとのこと。

 

・・・。そこってラウンジでは?

 

こうなったら誰かに追い出されるまでしれっとそこに居座るのが得策である。

暖かく居心地の良いソファーに居られるだけ居座りなさいとアドバイスをし、母の無事を祈る。

 

そして結局、母は誰からも咎められることもなく12時間の独りトランジットを乗り越えて日本へ帰っていったのであった。

これが母60歳にして初めての独り海外旅行の思い出である。

 

私の初海外一人旅の思い出を綴ったブログはこちら

 

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普通とは

何を持って普通と呼ぶのか知らないが、昔は自分が普通の人間だと信じていた。

アパレル会社に勤めていたため、私の周りには個性的な愛すべき変人たちがたくさんいた。その中において自分はいたってノーマルで正常な一般社会人だと自負していたのだが、変人たちは

「変人たちの中で普通というのは変人、大多数の中の少数派なのだからマイノリティ!ということは、この会社においてはお前が変人とゆーことになる」と言ってくる。

「普通と思っている人間が一番怪しい。第一お前は自分が思っているほど普通の人間ではない!」と言われたが、それでも自分は普通の一般人だと信じて疑いもしなかった。

そんな私が29歳でスペインへ旅立った。

旅立ちを決めた時、元同僚に「やっぱりお前が一番変わってる」と言われた。

確かに普通の一般路線からは多少外れたなとは思ったが、スペインへ行ってみると私なんかよりはるかに変わった人がたくさんいた。

「スペインへ来る人って変わり者が多いな」とスペインへ行った人間が思う。

特にスペインで出会う日本人は「自伝書いた方がいいですよ」レベルの個性的な人々がたくさんいる。

滞在年数が長いければ長いほど、変わり者率が高くなる。(気がする)

 

スペイン在住の個性的な日本人の中でまた「普通の人間」に返り咲いたと思い込んでいた私だが、免税店で働き出すと日本からやってくる年配の旅行者から変人扱いを受けることになる。

 

年配の方々は「30代(当時)独身でスペインで働いている日本女子」という生物が理解できないらしい。

接客していると「結婚しているの?子供いるの?何でスペインで働いているの?」と、かなりずけずけ聞いてくる。

「独身です」と答えると「・・・あっ、そう」と期待を裏切られた顔を向けてくる。

これだけで終わればいいが「じゃあなんでスペインに来たの?」とか、「なんで結婚しないの?」など、それはまぁ無礼な質問を浴びせてくるのだ。

はっきり言って余計なお世話である。

なんで見ず知らずのおっさんに私の人生を語らなければいけないのだ!

しかし彼らが納得する答えは「スペイン人と結婚したので、スペインに嫁いできました又は旦那の転勤についてきました」

30代女子にこれ以外の正解はない。「語学留学に来ました」は20代しか言ってはいけない。なぜなら彼らの中では語学留学にも年齢制限があるらしいのだ。

「30代、独身、スペインで働く日本女子」は彼らの常識を超えた変人とみなされる。

変人扱いに疲れ果てた私は結局「結婚しています」と嘘を付くようになった。彼らの想像するスペインにいる普通の日本人を演じれば気まずい会話のやり取りをしなくて済む。

 

「苦労しているのが当たり前」前提で話をしてくる老人たちも困ったものである。

「(こんな所で暮らして)大変でしょう?」と聞かれ「全然大変じゃないです!むしろ楽しいです」と答えた暁には「へぇ~。あそう・・・」とうちの娘ではなくて本当によかったといわんばかりの表情で遠ざかってゆく。

辛いほど苦労しているならとっくの昔に日本に帰ってるわ!と思うのだが、お年寄りに歯向かう訳にもいかない。

彼らが思う「普通」に当てはまらないのだから仕方ないのだ。

 

ここまでくると、一体いつの時代のどんなイメージを抱いているのか聞いてみたくなるほどだ。

出稼ぎとか奉公とか?

あと話は変わるが、出身地を聞かれて「東京」と答えると微妙に嫌な顔をされる時が多々あった。特に地方のじいちゃんばあちゃんは自分から「日本のどこ出身なの?」と聞いてきたのにもかかわらず「東京」と答えると会話が強制終了されるのだ。

あれはなんだろう?東京差別だろうか?どこと言えば満足して頂けるのか是非聞いてみたい。

Feria del libro/ブックフェア

マドリードのレティーロ公園で開催されたFeria del libroでアルバイトをした。

15日間に渡りレティーロ公園の一角にたくさんのテントが並ぶ恒例のブックフェアだ。

スペイン版の紙芝居を取り扱っていた地方の出版社がマドリードのフェリア出店に向け、紙芝居の発祥の国の日本人をスタッフにして目を引こうとしたのが私たち(私の他にあと二人の日本人女子)が雇われた理由であった。

15日間(中一日だけ休み)のわりに給料はなかなか良かったと記憶している。

出版社が私たちに求めるものはただ一つ、自前の浴衣を着て働いてほしいという事だけだった。

浴衣を着て紙芝居を売る。

とりあえず人目を引くことがこの仕事の最大のミッションのようだ。

 

ただこの目論見は失敗に終わった。

まず、ブースの中で浴衣を着ていてもたいして目立たないのである。しかも私も他のスタッフも小柄だったため積まれた本などで胸あたりまで隠れてしまう。仕方なく簡易でお立ち台を作りかろうじて帯が見えるくらいまで

底上げしたものの、目立たないことに変わりはなかった。

次に、なぜ日本人が浴衣を着てスペインの出版社のテントで働いているのか誰にもわからないのである。

紙芝居=日本という概念もなければ紙芝居自体もそれほど認知されていないのだ。

しかも、紙芝居の枠と中身を販売しているのだが、肝心の物語はまるで日本と関係のない話なのだ!

これでは、せっかく私たちの顔立ちと浴衣で日本だと認識して立ち寄ってくれたお客さんでも買うものがない。

そしてターゲットだと思われる子供連れの客は浴衣のせいでなかなか近寄ってくれない始末だ。

 

このままではやばいと判断され外にでて順番に呼び込みをすることを命じられたのだが、ブースから出ると一気にただの客寄せパンダ感が増してくる。

マンガフェアでもあるまいし、コスプレまがいの浴衣を着た日本人がこんなところで呼び込みすれば確かに目は引く。が、私の30m先にはスパイダーマンが風船を売っている。私の立ち位置はもはやあれと同じではないか。

しかも、同志だと思っていたスパイダーマンはその後警察に連行されてしまった。

マスクをはがされ連行されていくスパイダーマン

私も客引き(違う種類の)だと思われて連行されたらどうしよう!とやたらと挙動不審になる私であった。

 

結局15日間を通して一番説明したのは紙芝居の内容や使い方ではなく、なぜ日本人が浴衣を着てここにいるのかということだった。

来る日も来る日も私たちは紙芝居と日本の関係を説明し続けた。そして説明すればするほど日本の物語は販売していないのか?と尋ねられた。

そりゃそーなる気持ちもわかるわかる。

例えるならば、日本でフラメンコの衣装を着たスペイン人がカスタネットはスペインが発祥なんだよと言いながら、日本の曲や他の国のカスタネットの楽譜を売っているようなものである。

もはやスペイン人である必要もフラメンコの衣装を着ている必要もない。なんならスペインが発祥だとゆーうんちくすらいらない。

私たちがやっているのはこれと一緒。

(例える必要もなかったけど、例えてみた。そして例えてみて一人で上手い例えだと満足している)

 

しかし、私たちはめげずに15日間浴衣で紙芝居を売り続けた。

「初志貫徹」である。

微力ながらも多少の売り上げには貢献できてよかったと思う。

浴衣を着て目立っていたおかげで周辺のテナントの人からも色々話しかけられ人気者だったし、予定通りのお給料もきちんと頂けたしと、私としては大満足なバイト経験となった。