スペインに惚れました

10年暮らした愛しのスペイン私の独断と偏見に満ちた西方見聞録

パリの思い出

2002年、生まれて初めての一人海外旅行の目的地はスペイン。

この旅行の半年前に旅行会社のツアーで母とスペイン旅行へ行き、すっかりスペインにはまってしまったのだ。

 

当時フラメンコを習っていた私は調子に乗って三週間のフラメンコ留学を決行したのである。

 

留学先をグラナダに決め、飛行機の手配をお願いした時、スペインへの直行便がないのでこの際だからパリにでも寄ってからスペイン入りしたらいいのではないか?と勧められた。

「あら、素敵」

とまんまとその気になった私はエールフランスで夜中に日本を出て早朝パリに着く便で丸一日パリを満喫し、翌日マドリードグラナダへ移動するプランを立てた。

 

希望と期待を膨らませ飛行機は飛び立ち、早朝4時半にパリのシャルルドゴール空港に到着。

こんな時間に飛行機が着くのだから空港内のお店も24時間開いているものだと疑いもしていなかった。

カフェでゆっくり朝ごはんでも食べてから市内へ行こうと思っていたが、降り立った空港はシーンと静まり返り、店はすべて閉まっていて電気がついていない場所も多々ある薄暗い空港だった。

 

スーツケースをピックアップした後は皆さーっと空港を後にし、取り残された私は途方に暮れるしかなかった。

 

カツカツカツ。とヒールでさっそうと歩いていた日本人の客室乗務員を見つけ藁にもすがる思いで

「この時間で空いているカフェってないんですか?」

「市内に行けばどこか開いていますか?」と聞いた私に

「こんな時間に空いている店なんてあるわけないじゃないですか。市内に行ったって同じです。」と冷たい言葉。

 

【海外で日本人に異常に冷たい日本人】というのが一定数存在するのだが、

あれは一体なんなんだろうか?

確かに私の見通しが甘かった。下調べもきちんとしていかなかった私が悪いのは重々承知だが冷たすぎる。

この先どんなにかぶれても「日本人に冷たい日本人にはなるまい」と心に誓った出来事だった。

 

空港内をぐるぐるしているうちに、早朝便が出発するロビーに人がいたのでそこに腰を落ち着かせることにした。

その時の心情を書きなぐったノートが手元にあるのだが、

「将来娘ができて、一人で海外に行くと言ったら全力で反対しよう」とか

「時間が戻せるならパリに4時半に着く便に乗るなと言いたい」などなど、

よっぽど辛かったんだなと思う。

 

そうこうしている間にカフェが開き、「アン カフェ シルブプレ」と地球の歩き方の教え通りにカフェを注文し、本場のクロワッサンを食べたところでやっと落ち着いた。

 

朝食後は当初の予定通りタクシーで市内の日系の旅行会社へ行き、パリ半日観光に参加した。

エッフェル塔ルーブル美術館(外観のみ)、凱旋門オペラ座やらセリーヌ川など一通りバスで観光する手軽なツアーだ。

半日観光に参加した一人旅女子二人と仕事で来たという大学の先生と仲良くなり、ツアー後にはみんなで先生お勧めのレストランで食事をして別れた。

 

予約したホテルへ行くと受付の女の子が何やら言ってくるのだが全くわからない。

英語で話されているらしいのだが、生れて初めて聞くフランス人が話すフランス語訛りの英語のせいでまったく単語が聞き取れない。

私に説明をするのをあきらめた受付の子は「とにかく少し待て」と言って電話でタクシーを呼び出した。どうも私の予約した部屋に何かが起こり部屋がないので系列の他のホテルへ送って行けと言っているようだ。

 

「この子、まったく言葉が通じないから、よろしくね。あっちのホテルには私から連絡しておくから」とおじさんに私を託す受付の子。

まったく言葉が通じていないのに何故かこの時は彼女が言った言葉が理解できた。

優しいおじさんに付き添われ次のホテルへ向かうと入り口に受付の子が待っていてくれ「大変だったね。ごめんね。あっちのホテルのあなたの部屋のシャワーが壊れてしまったからこっちに移ってもらったの。」とわかりやすい英語で説明してくれた。

 

「ゆっくり休んでね」と渡されたカードキーで部屋に向かうと今度はドアが開かない。

何度挑戦してもドアが開かず、スーツケースを引きずってまた一階の受付へ戻るしかなかった。

 

結局カードの磁気が壊れていて他の部屋を用意してもらうことになったのだが、

「なんだか踏んだり蹴ったりね。ごめんね。今度こそゆっくり休んで。」(私の頭ではこう言われているように感じた)と優しく言われたので怒る気にもなれず、早朝からのストレスと長旅の疲れのピークでそのままベッドで爆睡。

 

夜は気力もないので「みんなの味方マクドナルド」でテイクアウトにしようとマックへ行ったが、簡単かと思われた注文にも悪戦苦闘した。

パリのマックはマックであってマックでなし。

 

セリーヌ川を散歩する余裕もなく、一刻も早くパリから抜け出してスペインへ行きたいと願いながら一夜を過ごした。

これが私のパリの思い出である。

その日の日記の最後は「二度とパリには行くな」で終わっていた。