スペインに惚れました

10年暮らした愛しのスペイン私の独断と偏見に満ちた西方見聞録

カラオケ

スペインにもカラオケは存在する。

ただし個室のカラオケボックスはないので大勢の前で歌う形式となる。

 

「人前で歌うなんて恥ずかしいわ」と思っていたが、これが意外とそうでもない。

なぜかと言うと、歌う人も観客もすべて酔っ払っているので上手くても下手でもあまり気にならないし、知っている曲は観客も大合唱するため、歌っている人の声が聞こえない。

カラオケの意味がない気がするのだが、誰も彼もが気持ちよさそうなので何も言えない。

海外のカラオケといえばドラマや映画のようにステージがあってみんなが座って聴くものだと思い込んでいたのだが、スペインのカラオケは様子が全く違うのだ。

 

もしかしたら、早い時間に行けばもっと静かで、みんなが歌を聴いているのかも知れないが、真夜中の一番盛り上がっている時にしか行ってないので本当のところはわからない。

 

一番盛り上がっている時の店内はすし詰め状態でみんなお酒を片手に大声で人の曲を歌っているか、話しているかのどちらかだ。

誰も黙って聴いていない。だいたい歌っている人もみんな酔っ払っていている。

この時間に独りで歌う人は少く、二人で歌ったり、グループでマイクを回しながら歌ったりするのが多い。もうぐだぐだ。

なぜこんなことになるのかとういうと、スペイン人は意外にシャイで、お酒の力を借りないと人前で歌えないという人がたくさんいるからだ。

 

一番盛り上がっている時のカラオケでやってはいけないことがある。それはマイナーな英語の歌を歌うこと。

まず、「英語の歌」ってゆーだけでもテンションは下がり気味なのにそれがあまり有名ではない曲だった時のスペイン人の反応は冷ややかだ。

あからさまに興味をなくす。この雰囲気の中で歌い続けられるほどの強靭なメンタルを持ち合わせている人はそうそういない。

ベストな選曲はスペイン語の誰もが知っている曲。これさえ押さえれば盛り上がること間違いなしだ。

 

しかし英語の歌を歌いあげる強靭なメンタルを持ち合わせるスペイン人たちがたくさん出てくる番組を発見した。

¡A cantar!」である。私の大好きなNetflixで視聴できるスペインのカラオケバトル番組だ。(Netflixでの日本語の題名はシング・オン!スペイン編)

6人の参加者が競い合い落とし合い、最後に残った人が賞金を独り占めできるというよくあるタイプの番組で、音程バーが表示され音程正確率が出るのだが、正確率は出場者には見られないようになっている。

一曲を参加者で交互に歌っていくのだが3回戦までは正確率など関係なく参加者同士の多数決で脱落者を決めるのだ。

この時の司会者と参加者のやり取りが気恥ずかしい。かなりクセの強い司会者と緊張してハイになっている参加者の会話は、何故だかみぞおちがゾワゾワする。見ているこっちが恥ずかしくなるようなやり取りだ。

しかし見続けるとだんだん癖になる。

シーズン2が待ち遠しくてたまらない。

 

一分程の紹介動画をどうぞ!これだけでテンションが異様に高い番組だとわかるはず。

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ジムの思い出

ウエートトレーニングやランニングのような一人で黙々とやる運動が苦手だ。

持久力がまるでないし、自分との闘いにあっさり負けるタイプなので続かない。

したがって長い間ジムには全く興味がなかったのだが、スペインではジムが人気で、私の周りでも通っている人が多く、ミーハーな私は例に漏れずジムに通うことにした。

 

私が通ったジムはダンスなどのクラスも豊富でゲイの方も多く通うおしゃれなジムだった。

暗闇バイクエクササイズのクラスがあったので覗いてみると、暗闇にミラーボールが輝き、爆音で流れる音楽の中みんなを煽るテンションの高いインストラクター。

スポーツとは健全なものという概念を覆す怪しい雰囲気の空間。

全員がハイになっている異様な状況は集団ドラックまたはカルト集団のようで、見てはいけないものを見てしまった感が否めない。

それでも好奇心には勝てず、窓に張り付いて中を覗いていると、先程ロッカールームで一緒だった女の子を発見。ブラックライトの中の彼女は15分前の彼女とはまるで違い、何かに取り憑かられたように力いっぱい自転車を漕いでる。

きっと明日は生まれたての小鹿のように足がプルプルして仕事にならないだろうな、と要らぬ心配をしつつ自分には向いていないクラスだなと早々に見限り隣のヨガのクラスへ移動した。

 

ヨガのクラスの先生は髭を長く伸ばした痩せたスペイン人で、「ザ!ヨガやってます」感が半端ないスペイン人版亀仙人のような先生だった。(仙人と呼ぶには若いけど)

「ナマステ~」と手を合わせて始まるクラス。

スペインで「ヨガをやっている」「禅に興味がある」「ベジタリアンヴィーガンである」人は日本が好きな確率がかなり高い。

この亀仙人先生も私が日本人だとわかった瞬間、目を細め温かい眼差しで私を見つめ、なぜか独りでうなずいていた。

 

ズンバのクラスは中南米出身のノリのいい先生だった。

陽気なラテン音楽に合わせて先生のフリを真似しながら踊るのだが、噴き出してしまいそうになるようなコミカルな動きがあったり、ストリップ劇場さながらの妖艶な下半身の動きがあったりとかなり独特な内容だった。

したがって毎回クラスは大爆笑。

しかし、笑いながら激しく踊るというのは意外に難しいのだ。笑うと余計に体力を使い息が上がる、そして生徒が笑えば笑うほど先生のテンションが上がりアドリブでまたわけのわからない振りを入れてくる。そしてまた笑う。これの繰り返し。さすがに一時間笑いながら踊り続けると汗だくになる。いい運動だ。

汗びっしょりでクラスが終わり、本来ならジムでシャワーを浴びて帰るところだが、このジムのシャワーが苦手で私は毎回汗だくのまま走って家に帰った。

なぜジムのシャワーが苦手かと言うと、うちのジムのシャワールームにはなぜか扉がなく、丸見え状態でシャワーを浴びなくてはいけない構造になっていたのだ。

横の仕切りはあるのに、扉はない。はずかしくて落ち着いてシャワーできない小心者なのでシャワーも浴びず走って家に帰るしかない。

近所のジムにして本当に良かったと思った。

スペインで日本の温泉の話をするとたまに「裸で入るの?」と嫌な顔をする人がいるのだけれど、今度そんな人に会ったら「シャワーの扉ついてないの?」と嫌な顔で応酬しようと心に誓った。

 

因みに、ジムはスペイン語でヒムナシオと発音するのだが、人の名前のイグナシオと似ている。

レストランの予約の電話を受けていた時、イグナシオさんから予約が入ったのだが、私はヒムナシオと聞き間違え、予約の表に「ヒムナシオ様2名」と記入していた。

同僚に「ヒムナシオ」って誰だよ!と突っ込まれたがヒムナシオと聞こえたのだからしょうがない。

 

これが私のジムにまつわるの思い出だ。

ボカディージョ

スペインで定番の食べ物ボカディージョ(バケットに具を挟んだスペイン版のサンドイッチのようなもの)

この具について毎回「シンプルすぎじゃね?」と思っていた。

私にとってバケットに挟むタイプのサンドイッチと言えば、サブウェイだった。したがってスペインでボカディージョを食べに連れて行ってもらった時サブウェイのあのサラダたっぷりのサンドイッチを想像していたのでびっくりした。

スペインのボカディージョにはまず生野菜なんて入っていない。

具は一種類から二種類が主流だ。

例えば、生ハムのボカディージョの場合、本当にみごとに生ハムしか入っていないことが多い。

バケットを切って生ハムを入れるだけ。本当にそれだけ。

生ハムがチョリソーになり、ベーコンになり、豚ロースになっても同じだ。

そして具が二種類の場合は大抵肉プラスチーズの組み合わせとなる。

 

ケチャップ、マヨネーズ、ソースなどの調味料を加えることはない。

パンと具の素材の味のみで勝負だ。本当にシンプルなサンドイッチだ。

サンドイッチと思うから納得いかないが、おにぎりだと思えばいいのかもしれない。

おにぎりも具は大抵一種類だ。人の心を掴むのに具材の多さなんて関係ないのだ。

 

 

そしてマドリードにはみんな大好きB級グルメボカディージョ・デ・カラマレス」というイカリングフライのボカディージョがある!初めて見た時は驚いた。

バケットにこれでもかとイカリングがただただ挟んであるのである。しかしこれがとても美味しいのだ!低価格なのにボリュームたっぷり!これぞB級グルメマドリードに行ったら是非食べていただきたい!

 

みんな大好きボカディージョだが、一つ気がかりなことがある。

それは私が知りうるだけでも何名かが流血被害にあっているということだ。

ボカディージョと流血。

なかなかミスマッチな組み合わせだが、どういうことかというと硬いバケットが上あごを傷つけ血が出るというのだ。

ボカディージョ美味しいけど、血が出るんだようなぁ」とため息をつきながらメニューを見つめる友だち。

なんてかわいそうなのだろうか。

私の上あごは丈夫なので流血被害にあったことはないのだが、繊細な彼女の上あごは上手に食べないと流血するというのだ。

 

日本人が火傷をしてでも熱いうちにたこ焼きが食べたいと思うように、スペイン人にとっては流血してでもボカディージョ食べたいのだ。

 

流血の心配なく食べる方法をスペイン人に教えてもらったので紹介しておく。

今後の人生でどのくらいこの情報が役に立つかわからないが、知っていて損はない。

 

私の友だちの食べ方はバケットをひっくり返すというやり方だ。

バケットを置いた時に下に着く部分を上にして食べるのだ。下の部分は上の部分に比べると滑らかというか鋭くない。こうやって食べると上あごは切れない!と自信満々に語られたが助言の通りに逆さにして食べたら舌が傷ついて痛かった。いまいちである。

 

もう一人の友だちの食べ方はとにかく食べる前に潰すというやり方だ。

見た目は無残だが、潰せばバケットは武器にならないという。しかも大きな口を一杯に開けて頬張らなくてもいいから食べやすいとのこと。確かに一理ある。

 

流血を回避したいのであれば是非お試しください。

 

 

アウトプット

私はとてもおしゃべりな人間でとにかく口数が多い。世間話、無駄話が大好物で黙っていられない性格だ。

そんな私が日本語の通じない世界へよくも何も考えずに行ったものだと思う。

スペイン語を勉強しに行くのだから、スペイン語ができないのは当たり前」と開き直りスペインへ旅立った。

大方の予想通り、スペインで暮らした初めの頃は自分の低レベルのスペイン語力のせいで思うように会話が出来なかった。

そりゃそうだ。当たり前である。

日本語ではエンドレスで話せるのにスペイン語になった途端話せる範囲がグッと狭まるということが何よりストレスだった。

特にケンカの時、言い返してやりたいのに言い返せないのは本当に悔しい。

一言多いタイプの私にとってこれは地獄だ。

スペイン語が話せないからってバカだと思うなよ!日本語だったら絶対お前なんかに負けないからなぁ!」と何度思ったことか。

 

「口げんかに勝ちたい」「文句を言いたい」「愚痴を言いたい」「噂話をしたい」

という品性のかけらもない願望は私の糧となり、少しずつ言いたいことが言えるようになった。

スペインでは言いたいこと、思ったことを言わないとなかったこととされる。

特に不愉快だと思うことや嫌なことはきちんと言葉で言わないと誰にも伝わらない。

黙って誰かに察してもらおうなんて通用しない。

誰も察してなんてくれないのだ。

 

職場の同僚と一緒に上司の悪口が言いたい!噂話に加わりたい!と思ったお陰で伸びたスペイン語力。

みんなの輪に入り、聞き耳を立て良く出てくる言い回しやフレーズを覚えて、自分でも使ってみる。

教科書には出てこない流行の言い方や下品な言葉なども真似して言ってみると

「その歳でその言葉は使わない」とか「使い方を間違えると殺されるレベルの表現」

などとみんなが指摘してくれる。

使ってみたからこそ得られた知識だ!そしてこうやって覚えたスペイン語はしっかりと身に付く。

 

語学学習において、インプットとアウトプットはとても大切だ。

覚えたら使ってみる。こうすることでより深く頭に染み込ませることができるのだ。

 

その昔、国語の授業で「微々たるもの」という言葉が出てきたが、友だちのYさんは国語が苦手でこの言葉が理解できなかった。

意味がよくわからないというYさんのために例文を挙げ

「ほんの僅かとか、少し、取るに足らないとかそんな意味だよ。顕微鏡の微だしね。」と教えてあげた。

するとその日の午後、クラブ活動が終わりみんなで手を洗っている所にYさんが現れ、

「微々たるどいて」と言ってきたのだ。

 

微々たるどいて」とは!なんと斬新な使い方!

 

Yさんは「ちょっとどいて」のちょっと微々たるに換えたのだ。

確かに「微々たる」イコール「ほんの僅か」「少し」と教えた。

使い方は大きく間違っているが、インプットしたらすぐアウトプットするこの姿勢。

間違いを恐れず使ってみるこの姿勢が素晴らしい。

 

 

Yさん、お元気ですか?

私はあなたが言った「湯餃子」が頭を離れず、今でも「水餃子」を頼む時に一瞬あなたの顔が浮かびます。

 

 

SAYONARA, BABY

以前のブログ「変化する名前」で有名人の名前のスペイン語読みバージョンについての苦言を呈したが、

 

tokiotamaki.hatenablog.com

 

映画のタイトルもスペイン語版があったりする。

映画のタイトルは日本の邦題もかなり原題を無視した題名をつけるので、大きな声でスペインを批判できないのだが、言いたいので言っておく。

La jungla de cristal 直訳すると「クリスタルのジャングル」

スペイン語読みだと

「ラ フングラ デ クリスタル」となる。

このおかしなスペイン語の題名のせいでなんの映画か全くわからず、「あんなに有名な映画を見ていないのか!」とあきれられたが、

これ実は「ダイハード」のことなのである。

わからない。わからない。

なぜ「ダイハード」が「フングラ」になるのだ。

例えば、スターウォーズスペイン語版だと「La guerra de las galaxias

銀河戦争という意味なので

銀河戦争?あ~スターウォーズね」と何となく想像がつくから許せるが、「クリスタルのジャングル」からダイハードは出てこない。

しかもジャングルのスペイン語「フングラ」が何故か私のツボにはまり「フングラ」「フングラ」と頭の中で反復する。

 

映画で思い出したが、ターミネーター2の有名なセリフ「Hasta la vista, baby」はスペイン語だ。

日本語訳では戸田奈津子さんが大胆に「地獄で会おうぜ、ベイビー」と意訳している。

地獄なんて一言も言ってないのに地獄。

オリジナルを超えるインパクトを与えている。

では、スペイン語バージョンはどうなっているのか?

スペイン語吹替えバージョンはこのあえてスペイン語部分を「さよなら、ベイビー」と吹替えしたのだ!

あのシュワちゃんの声(吹替えの声だけど)で放たれる「SAYONARA, BABY」はとても味わい深い。

「地獄で会おうぜ、ベイビー」には負けるが「SAYONARA, BABY」もスペイン人に与えたインパクトはかなり強い。

 

初めの頃は「SAYONARA, BABY」がターミネーターの台詞だとは知らなかったので、なぜ多くのスペイン人がSAYONARAの後にBABYを付けて言うのかわからなかった。

「なんでいつもSAYONARAの後にBABYを付けて言うの?」と聞いてみると

ターミネーター見たことないの?有名な台詞じゃん」と言ってくる。

さよならなんていう台詞なんてあったかしら?と疑問を抱きながら一緒にターミネーターを見直すと出てきました

「SAYONARA, BABY」!!よっ!待ってました!

「オリジナルではSAYONARA, BABYなんて言ってないんだよ!知ってた?」と聞いてみると

「えーー!えーー!そーなの?じゃあなんて言っているの?」とびっくり仰天している。

昔からスペイン語吹替えでしかターミネーターを見ていない人は「SAYONARA, BABY」はオリジナルのセリフだと信じて疑いもしないことだったようだ。

「Hasta la vista, babyと言っているのだよbaby」と得意げに教えてあげると予想通り

シュワちゃんが?」「スペイン語で!?」と驚いてくれたのだが、すぐに真顔に戻り

「でもSAYONARA, BABYの方がしっくりくるしかっこいいよね」

とオリジナルを完全スルー。

私が自慢げに披露したトリビアを全くなかったことにされた。

関心がなくなった時のスペイン人の反応はとても冷酷だ。

 

因みにHasta la vistaは「またね」と訳したりするが、スペインではあまり使わない。

なぜならHasta la vistaは次に会うのがいつかわからない時に使うべき言葉だからだ。

「(いつか)また逢う日まで!」と訳したほうが正しい。

「またね!」と言いたいときはHasta luegoアスタ ルエゴを使いましょう!

では、SAYONARA, BABY!

人間だもの

スペインで暮らしていたある日のこと。

スーパーで買った卵を冷蔵庫へ入れようとパックを開けてみると、12個入りのはずなのに11個しか入っていなかった。

開けた瞬間止まる時間。

人間は驚くと一瞬思考回路が停止する。

はっと我に返り私の頭に最初に浮かんだのは「私が甘かった」という後悔にも似た感情だ。

この段階で既にスペインに毒されている。

この状況の場合、卵が一つないのはスーパーや工場のせいではなく客の誰かが抜き取った可能性が100%である。

再生紙を利用したパックだったため、取ろうと本気で思えば脇から一つぐらい抜き取れる。

日本では誰も本気で一つ抜き取ろうとする人はいないだろうが、日本の常識は通用しない。

日本では起こらないだろう出来事に遭遇するたび、「ここは外国。何が起こっても不思議はない。何があっても自己責任」と自分に言い聞かせて生活してきた。

もちろん今回の件に関しては私に非がないのでスーパーに戻って卵は交換してもらえたが、無駄にスーパーを往復する羽目になったのは、買う前にパックに隙間がないか、しっかり入っているかどうかきちんと確かめなかった自分のせいとも思える。

やっぱり「私が甘かった」のである。

 

世の中を信じてボーっと買い物なんてしてはいけない。

「人間の本性は基本的に善であるとする」性善説で成り立っている日本とは違うのだ。

スペインに居るのならば、箱に入っているアイスも抜き取られていないか前後左右確かめるべきだし、6個パックのヨーグルトが4個しかない場合は疑問を持つべきなのだ。

そしてレシートは毎回きちんと買った物と合っているか、割引品がきちんと割引されているか確かめたほうがいい。

レジの打ち間違いは故意ではないが間違いが多いのも事実である。

 

ところが、レジの打ち間違いに対してスペイン人の反応は意外に優しい。

「間違いはあるよね。人間だもの」と、

相田みつをクラスの寛容さで受け止める。

まるで悟りを開いたかのような微笑みで

「人間だもの」と言ってのけるその姿はマザーテレサのようだ。

しかし「人に甘い」分、己にもめちゃくちゃ甘い。

ミスした人を責めないのはいいが、自分がミスした場合も自分を責めない。

「人間だもの」のせりふはミスした当事者が開き直って使うと、それはただただふてぶてしく殺意すら覚える。

 

いけない、いけない。

殺意だなんて、寛容さのかけらもない。

ここは深呼吸して禅のごとき心を穏やかに保たなければ。

神に「寛容さ」を試されているのだ。

例え銀行に行って窓口が一つしか開いてなくて長蛇の列ができているのに銀行員がべらべらと話していようが、スタバの店員に毎回間違った名前をカップに書かれようが、「人間だもの」と受け入れるのだ。

 

役所の人が変わる度に言っていることが変わっても、銀行のカードの名前のスペルを3度も間違えられても「人間だもの」「人間だもの」「人間、、、、」

ダメだ。堪忍袋の緒が切れる。

 

結局私は相田みつをにもマザーテレサにもなれなかった。

シャンプー

スペインではシャンプーの品揃えがリンス・コンディショナーの品揃えより多い。

その為シャンプーは売っているのに、リンスが売っていないなんてことがよく起こる。

スーパーなどで売っている値段の安いオリジナルブランドはシャンプーのみの販売で、どこを探してもリンスが見当たらない。

そのくせ、シャンプーの種類は「ストレート用」「カールヘア用」「ふけ防止」など豊富な品揃えだ。

したがってシャンプーとリンスをセットで買ったと思ったのにシャンプーを二種類買っていたという悲劇を体験する羽目になる。

 

リンス・コンディショナーが少ないということはどういうことなのか?と疑問を抱き、友達に聞いてみた。

すると、驚いたことに若いその彼女はリンスなんて使ったことがないと言ってのける。

しかし「使ったことがない」と言い張るその髪はとてもきれいなのだ。

 

私は物心ついた時からシャンプーとリンスはセットだと思っていた。

リンスをしなくてもいいのはリンスinシャンプー「ちゃん・リン・シャン」のSOFT IN 1を使った時だけだと思っていた。

 

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「朝シャン」(朝にシャンプーすること)が大ブームとなった頃に思春期を迎えた私は、ブームに乗り遅れないように律儀に毎朝学校へ行く前に「朝シャン」をしていたものだ。

 

ところで、スペインでリンスをしないのはどこまで一般的なのか。

私の友だちが変わり者なのか否かを探るため、他の人にも聞いてみる。

私が知りうる範囲での調査の結果、男性陣はリンスをしないで一致した。

人によってはボディシャンプーで体、顔、髪すべて完結する人もいた。とても安上がりで羨ましい。

男性陣がリンスを使わないのなら、スーパーのシャンプーコーナーの比率の謎も解ける。人口の半分にリンスが必要ないのならシャンプーと同じ量のリンスを用意する必要はない。

では、女性陣はどうなのか?

子供時代は男性陣と同じくシャンプーのみ。リンスは大人になっても使わない人もいたが、一番多かったのはたまに使うパターン。毎回シャンプーの度にリンスをする人はあまりいなかった。ただ髪を染めだすと利用する頻度も上がるようで、髪が痛み出したら使うものと認識されているように感じた。

 

髪を染めるといえば、スペインで生まれつきの金髪の人は10~20%のみ。その中でも北欧の人の様な金髪はごくまれだ。街中にいる金髪の人々の大半は人工的に染めているのである。

そして大多数の人がくせっ毛だ。くせっ毛にも様々なレベルがあるがほんのりレベルから、スパイラルグルグルレベルまでバリエーション豊富。

生まれつき真っすぐな髪の人はあまりいないので、ストレートにしたい時は一生懸命ヘアアイロンでまっすぐ伸ばすのだ。

 

同僚が気合を入れてヘアアイロンでストレートにして出社した。

そしてその髪型は3日間変わらなかった。

他の同僚が美容院で髪を染めてきれいにセットしてもらった。

そして彼女も3日間髪型が変わらなかった。

 

「髪洗えよ」と思わず言いたくなったがそこはぐっと我慢。

 

「せっかくきれいにセットしたから洗うのがもったいない」と言うのが彼女たちの言い分だ。

多くのスペイン人は毎日髪を洗わないのは知っていたが、3日は長いと思うのは私だけだろうか?

しかし、3日間髪は洗わなくても毎日シャワーは浴びているらしいので汚いとも言い難い。

シャンプーの頻度は人それぞれ、リンスを使うかどうかも人それぞれだ。

 

一生懸命、朝シャンに励んでいた少女時代の私に教えてあげたい。

「あなたの髪は夜にシャンプーしたほうが癖が落ち着いてまとまりやすいのよ」と。