スペインに惚れました

10年暮らした愛しのスペイン私の独断と偏見に満ちた西方見聞録

フィリピン人

アンダルシアにいた頃にはめったに見なかったが、マドリードではたくさんのフィリピン人が暮らしていた。

 

私はマドリードで一年日本食レストランで働いたのだが、同僚の半分以上がフィリピン人だった。家族や親戚などを頼ってスペインに移住するパターンが多いらしく、彼らはとても大所帯だ。

 

レストランで働き出したばかりの頃、仲良くしていたフィリピン人のかわい子ちゃんジェニファーから

「毎年職場のみんなで海へ行くから参加してね」と誘われた。

「誰が行くの?」と聞くと「みんな」との返答。

みんな行くなら参加した方がいいのだろうと思い参加を決めたのだが、どうも日本人の板さん達は参加しないような感じだった。

まぁ、日本人の板さん達が来なくてもそれ以外のスペイン人や中国人などは参加するだろう。

 

海といってもマドリードには海がない。

したがって、近所のその辺に行くのとはわけが違う。

ジェニファーの説明によると夜中にバスでマドリードを出発し、朝アリカンテ地方のベニドルムに到着。一日海を満喫し、その日の夜にマドリードへ帰ってくるという。

 

「とにかく水着だけ持ってきて。食べ物の心配はしないで!」とのこと。

 

そして当日、待ち合わせの場所へ行くとそこにはたくさんのフィリピン人たちがいた。 フィリピン人以外見当たらず「職場のみんなは?」と聞くと「みんないるよー。その家族たちも一緒だよ。」と満面の笑み。

そこで初めてジェニファーの言う「みんな」とは同族の「みんな」だったことに気づいた。

 

少々だまされた感が否めないが、ここまできたらしょうがない。

一瞬帰ろうかと思ったが、言い訳が思いつかず、そうこうしている間にバスに詰め込まれてしまった。

 

50人乗りの大きなバスに40人程のフィリピン人と私。

バスにはなんとガイドさんのような人もいて(もちろんフィリピン人)タガログ語で何か話し出す。

すると後方からスペイン語

「今日は日本人もいるんだぜー!スペイン語で話してあげないとわからないよ!」

との声が飛んできた。日本人。明らかに私のことだ。

「なんと!今日はスペシャルゲストがいるんだな!どこに座っているのかなー?手を上げてー」などとはやし立ててくる。

すると私の周りのフィリピン人たちが「ここ!ここにいるよ!」と応酬。

 

なんだ。なんなんだこの茶番は。恥ずかしいではないか。

 

40人のフィリピン人たちは私の同僚とその親戚たちなので彼らは全員私の名前を知っていた。もう逃げも隠れも出来ない。

腹をくくり、こうなったら楽しもうと思っている頃バスが出発した。

 

するとさっきまでおちゃらけていたガイドさんがなにやら神妙な面持ちでお祈りをささやき出した。

この旅の無事を祈っているようだ。

周りを見渡すと皆目を瞑り手を組んでいる。「アーメン」とみんなが言っている姿に軽くカルチャーショックを受けた。

フィリピン人は敬虔なキリスト教徒なのだ。

 

バスで爆睡している間にベニドルムへ着き、フィリピン人たちは家族単位で砂浜に場所取りをしていく。

私の専属マネージャーと化したジェニファーに導かれ私はジェニファー家族のゴザで朝食をとることになったのだが、たくさんのタッパーにたくさんの料理が詰め込まれていた。

待ち合わせの時、どの家族も海ではなくて物売りにでも行くのかと思うほどの大荷物だったのはこのせいだったのだ。飲み物からご飯にデザートなどなどたくさんの食料を持ち込んでいたのである。

 

ジェニファー一家との朝食が終わると今度はジェニアン一家に呼ばれる。

そして似たり寄ったりの食事をまた勧められる。そして次の家族に呼ばれる。

昼食もこれの繰り返し。海で遊ぶより各家庭のゴザを回り同じような料理を勧められる。

ここら辺から私の海の記憶は途絶えている。

ただただフィリピン料理を食べた一日としか記憶に残っていないのだ。正直お昼以降の記憶がまるでない。覚えているのはチキンとか甘いデザートだけだ。

 

後日、職場の日本人オーナーに「あなた、変わっているわね。フィリピン人たちと海に行ったんですって?あの旅行に行った日本人なんてあなたが初めてよ。」と言われた。

 

ただこの旅行のおかげで私はたくさんのフィリピン人の知り合いが出来た。彼らの多くは日本レストランなどで働いているため、その後知らずにレストランに行くと厨房から挨拶されたり、おまけの料理が出てきたりとなにかと優遇された。

フィリピン人万歳である。