スペインに惚れました

10年暮らした愛しのスペイン私の独断と偏見に満ちた西方見聞録

スペイン語の夢

その昔、スペイン語で夢を見ることが私の夢であり目標だった時期があった。

スペイン語で夢を見る人=スペイン語がペラペラな人」だと思っていた。

夢でスペイン語を話しているなんてカッコいい。

いつか私もスペイン語で夢が見たいと切望していた。

 

しかし、あっけないくらい早く私の夢は叶うことになる。

すぐに念願のスペイン語の夢を見たのだ。

 

その夢の中で私はスペイン人たちと一緒にいる。

早口なスペイン人たちの会話の応酬の中、あせる私。

夢の中でもあせっている。

そして私が放った言葉は

 

「No entiendo!!!!」わからない!

 

No entiendo、No entiendo、No entiendoと悪夢のようにうなされながら目覚めたのだ。

 

残念ながら夢の中でもスペイン語がわからなかった。

夢の中でもスペイン語に苦労し、夢の中でも「わからない!」と繰り返していた。

しかしどんなにスペイン語が出来ていなくても「スペイン語の夢」には変わりない。

スペイン語の夢が見たい」とは言ったが、「スペイン語がペラペラに話せている夢が見たい」とは言っていない。

具体的に神様にお願いしなかった私が悪いのだ。

 (この事件以来、私は神様が間違えないようにより詳細に慎重に願い事をするようになった)

 

初めて見たスペイン語での夢は散々な夢であったが、スペインで暮らすうちに自然とスペイン語での夢も増えていき、寝言でスペイン語を話すまでに成長した。

 

ある朝、目覚めると隣にいた彼が怯えた目で私を見ていた。

なんか激しい夢を見てたな。という自覚があったので、勢いあまって蹴りでも入れてしまっていたのかな?と思い「なんかしちゃった?」と聞いてみると、

「何て言ったか覚えてないの?」と言ってくる。

寝言を言った自覚もないし、夢の内容も思い出せない。

 

「Te mato!」殺してやる!って僕に言ったんだよ!覚えてないの?一体全体どんな夢見てんだよ!」

と朝から怒られた。

しかし、寝言に責任は持てない。

第一夢の内容を覚えていないのだから怒られても困る。

「殺してやる」と言っても「殺しちゃうぞ!」みたいな可愛い言い方だったかもしれないし、「私のアイス食べたな!このやろう!殺してやるー!」みたいな食べ物の恨みだったかもしれない。

「殺してやる」の前後がわからなければ謝ることも出来ないではないか。

 

ただ「そんな言葉、私の口から出てくるはずがない」と言い切れない自分がいる。

いかにも私が言いそうな言葉だ。

特にスペイン語だと日本語では言わない言葉も簡単に言えてしまう場合がある。

 

典型的な例が「Te quiero 愛してる」だ。

日本で、日本語で「愛している」などと日常的に言う人が一体どれだけいるのだろうか?

私は一度も言った事がない。

が、スペイン語でなら何度でも言える。

私がスペイン語で「Te quiero」と言っている時は必ずしも日本語の「愛してる」の意味ではないのだ。

私にとって「Te quiero」は「Te quiero」であって、「愛してる」ではない。

「愛してる」を翻訳して「Te quiero」と言っているわけではないのだ。

この理屈と同じで「Te mato」も「殺してやる」と本気で言っているわけではないと言う事を彼氏に説明したいが、これを言ってしまうと「Te quiero」の意味について大喧嘩に発展しそうなので黙るしかない。

 

スペイン語での寝言には要注意が必要だ。