スペインに惚れました

10年暮らした愛しのスペイン私の独断と偏見に満ちた西方見聞録

電話の解約

スペインで暮らしていると、時々大きな試練に立ち向かわなければならない時がやってくる。

 

契約していたインターネットのプロバイダーに引越し後も直ぐ繋がるかどうか質問した。

「問題ないよ!引越し先でも二日くらいでネットに繋がるようになるからね!」

と言われ安心していたのに、三日たってもネットに繋がらない。

ここはスペイン。二、三日の遅れは大目に見なければと思い、ぐっと我慢した。

しかし一週間たってもネットに繋がらず、面倒だなと思いながらも苦情の電話をする決心を固めた。

 

日本でも同じだが、カスタマーズサービスの担当者と話が出来るまでの道のりが果てしなく遠い。

 

長々と流れてくる音声ガイダンスに従いながら、やっとの思いでたどり着いたオペレーターはやたらと「セニョリータ」を繰り返す南米の女性だった。

ネットが繋がらない事と約束してた期限をとうに過ぎていることを説明し詰め寄ると「もうすぐ繋がる」の一点張り。

一週間もたっているのにもうすぐとは一体いつのことなんだ!と怒ると突然、なんの前触れもなく電話が切られた。

気の短い私は既に怒り心頭。直ぐに電話をかけ直すと先程と同じ声のオペレーターが電話に出た!

「あなた、今さっき、私の電話切ったでしょう?」

と詰め寄るものの、違う違うと埒が明かない。

しょうがないのでもう一度初めから事情を説明するとまたお決まりの

「もうすぐ繋がる」

こいつでは何も解決できないと見切った私はオペレーターの名前を強引に聞きだし電話を切った。

 

さっきも書いたが、私は気が短い。

この段階で既にプロバイダーを変える決心を固めた。

元々、引越しの時にプロバイダーを変えようと思っていたのに、直ぐ繋がると言う言葉にまんまと騙されてしまった。

 

翌日、契約解除するべく再び戦いに挑む。

「契約解除の方は5を押してください」との音声ガイダンスに従いオペレーターに繋がるのを待つ。

この日の最初のオペレーターは感じのいい青年だった。

「契約を解除したい」と申し出ると、

「それでは担当に代わります」と言ってきた。

では君は一体何の担当だったのだ?と突っ込みたくなるが、ここはぐっとこらえる。

そして担当が代わり、また初めから事情を説明する。

「何で解約したいの?」と聞かれ、若干イライラし始めた私は前日の

「電話切られ事件」を説明した。

すると、「私たちの同僚がそんなことするはずないわ~」と言ってくる。

 

っふ。こんなこともあろうかと私はちゃんと名前を控えているのだ!

昨日聞き出した担当者の名前を伝えると

「そんな名前の人働いていないわよ~」とまだのん気に答えてくる。

「では、お客に嘘の名前を教えるオペレーターが働いている会社ということですか?

まったく信用できないので一刻も早く解約して下さい。」と伝える。

一気に形勢逆転。

「よく言ったぞ!」と自分で自分を褒めならが優越感に浸っていると、

「では、担当に代わります」と言われ、またもや電話から保留メロディが流れ出す。

 

一体何度このやり取りを続ければ私の願いは叶うのだろうか?

 

次に代わった担当者は、色々なキャンペーンや割引やらで私の解約を阻止しようと必死だ。

しまいには「明日には繋がるように必ずする。一週間待てたのだからもう一日くらい待てるでしょ」となかなかの説得力だ。

「明日?」

見事な誘惑に一瞬白旗を上げそうになったが、よく考えれば

「急げば一日でできる」ことを一週間も放置されていたということだ!

危ない危ない。言いくるめられる寸前だった。

 

「私の願いはただ一つ。お願いだから解約させて頂戴。

私が解約したらあなたのお給料が減ったりするの?しないでしょ?

どうかお願いだから私の唯一の願いを叶えてください」と懇願し、

最後は「お願いします。お願いします。」を繰り返した。

 

私を説得することをあきらめた担当者は

「では、少々お待ちください」と言って電話はまた保留音へ。

流石に疲れ果て、電話を切ってやろうかと思ったが、次に出た担当者は開口一番

「では、解約手続きに入ります」と言ってきた。

やっと、やっと、やっと本当の解約担当者が現れたのだ。

長かった。本当に長かった。

現に私の昼休み時間はもうすでに過ぎている。

 

無事に解約手続きが終わり、

ゾンビ映画の生還者さながらにロッカールームから出てきた私。

「スペイン人でもなかなか一筋縄ではいかないのに、凄い!よくやった!」

「これで一人前のスペイン人だ!」

と拍手喝采してくれる同僚。

 

「やったよ!やりきったよ!」と両手を突き上げて天を仰ぐ。

ありがとう神様。

 

 

この大きな試練を乗り越え一回りも二回りも成長した私であった。