姑という名の魔女
結婚には至らなかったので厳密には姑と呼べないが、それらしい人物が私の人生でも登場したことがある。
スペイン人の彼のお母さんだ。一般的にスペイン男性はマザコンだと有名だが、私の彼も例外に漏れずマザコンだった。そして彼のお母さんは私にとって最強最悪の姑であった。この書き出しからもわかる通り、私と彼女の相性は最悪だった。息子を挟んで繰り広げられる三角関係。
彼が私の住む家に押しかけてきて同棲が始まったのだが、なんせ二人で住むには小さすぎるワンルームだったためとても手狭だった。マドリードの中心地だったため狭くても家賃はそれなり。そこで彼から「僕の家に引っ越してくればいいよ!」と素敵な提案を頂いた。なんでも彼のお母さんは彼のお姉さん夫婦がいる地方都市に滞在しているため現在マドリードの家には彼以外住んでいないという。中心地からは若干離れるが家賃も無料だし文句はない。早速ワンルームの契約を解約し彼の家へ転がり込むことにした。
しかしこの決断が大間違いだったのだ。
引っ越して3週間が過ぎた頃、彼のお母さんが私たちの住む家にやって来た。私たちの住む家と言っても彼のお母さんの家なのでいつやって来ても文句は言えない。この家は寝室が3つだがお風呂とトイレが2つあるのでお母さんがやって来てもそれ程支障はない。いつまで滞在する気なのだろうか?と気になるが、家の家主にそんなことはなかなか聞けないので彼に聞いてみると、しばらくこっちに滞在するとのことだった。しばらくって一体いつまでのことだろうか?
一抹の不安が胸に広がる。
そして嫌な予感というのは残念ながら驚くほどよく当たる。
彼のお姉さんと電話で話す機会があったのでさりげなく探りを入れてみたところ、なんと彼のお母さんは私に家を乗っ取られるのが心配でがっつり戻って来たようなのだ!
彼のお母さんが戻ってくると知っていたらワンルームを解約なんてしなかったのに!
時すでに遅し。
そしてそれから10か月間に渡り3人の奇妙な共同生活は続いた。
彼のお母さんの一番の問題点は、私のことを息子を奪い去る悪魔だと思っていること。被害妄想も甚だしいってものである。女手一つで育てた最愛の息子が東洋の女にそそのかされ自分の元から離れていくのではないかと戦々恐々としているのだ。悪魔に対抗するために鋭くなっていく眼光。そして姑の風貌ははどんどん魔女っぽくなっていった。
私は、私のことを嫌いな人間とは極力関わらないで済むように生きてきたのに、家に帰ると私のことを世界一嫌いな魔女が待ち受けているのである。これはきつい。
結局、10か月後に音を上げたのは私だった。
東洋の悪魔と西洋の魔女の戦いは西洋の魔女に軍配が上がったのだ。
敗北感に打ちひしがれ、別れを覚悟の上で家を出たのだが、結局この引っ越しに彼もついてきてしまったため、私と魔女との関係は修復されるどころか悪化の一途を辿ることとなった。しかし私たちが家を出てほどなくすると彼女は唐突に元いた地方へ帰って行ってしまったのである。
長かった一年がそうして幕を閉じたのだ。
その後、彼と別れるまでの数年間は冷戦状態が続き、そして結局最後まで和解することなく彼女は私の人生から去って行った。
別れた後でも魔女は時々夢に登場し私を苦しめた。どんだけ魔力が強いんだ!
恐るべし西洋の魔女!
こんな出来事があったので姑と良い関係を築いている人を見ると尊敬してしまう。魔女に打ち勝つ秘薬などがあるのなら是非頂きたいものだ。
散歩と尾行
私の人生で歩くという行為は行きたい所へ向かうための手段であって目的になることはなかったのだが、スペインに行きその感覚はずいぶん変わった。
日本にいた時はとにかく目的地に最短距離で行けるルートを検索し、必要とあらばタクシーまで駆使して極力歩かなくて済む選択をしていたが、スペインでは不思議なほど無駄に歩くことができた。湿気のない気候と抜けるような青空、急いで歩いている人がいない道。お店やバルなどが建物の一階にあるので歩いて眺めているだけでも楽しくなる。スペイン人が散歩好きなのも納得である。
マドリードは首都と言えども意外にコンパクトな街なので、散歩や買い物をしていると知り合いに出くわすなんてことも良く起こるのだが、知り合いではなくてもよく見かける人というのが存在する。
私たちが「パトリック」と名付けたその男はいつも指なしの革の手袋をはめ、ベースボールシャツに身を包んでいた。なぜパトリックと名付けたかと言うと、俳優のロバート・パトリック(ダイ・ハード2のテロリスト役)に似ていたからだ。
初めて見かけた時は変わった人だなと思っただけだったが、その日を境にパトリックとの遭遇率がグッと上がっていった。私たちとパトリックの行動範囲がどうやらかなりかぶっているようだ。本当の知り合いと遭遇する確率よりパトリックと遭遇する確率の方が断然高い。
パトリックはいつ見ても同じスタイルで、そして必ず一人で歩いていた。人と話している所は一度も見かけたことがない。口を一文字に閉じ無表情。背が高くやたらと姿勢がいいので遠く離れた場所からもパトリックを発見するのは容易だった。
季節が変わり寒くなってもパトリックは頑なにベースボールシャツを着ていたが、本格的な冬が到来したらあっさりとコートを着込み始めた。しかし、革手袋の指先は相変わらず出たままだ。
寒い冬の夕方、彼氏とぶらぶら散歩をしている時にまたパトリックを発見した。いつ見ても興味深い男だ。一体彼は何者なのだろうか?常に身に付けている革の手袋も気になる。無表情で強面の顔から想像すると殺し屋か?スパイか?いや、それにしては目立ちすぎる。
するとパトリックの後をつけてみよう!と彼から提案があった。人の後をつける行為はもはや散歩ではなくただの尾行だ。常識的に考えてこの行為は間違っているが、特に用事もないのであっさりと彼の変態行為に私も便乗した。
夕方のマドリードの繁華街は人で溢れているため尾行するにはもってこいだ。しかもパトリックは背が高いので多少の距離があっても見失うことはない。簡単だ。しかもパトリックのコースは私たちの普段の散歩コースとなんら変わらない。そーなると尾行している罪悪感が一気に薄くなる。
しかし、歩けども歩けどもパトリックはどこへも入らず、誰とも話さず、ただただ街をさまよっていただけだった。なんともつまらない尾行である。そうこうしている間にどっぷり日も暮れて、お腹も空いてきたのでその日の任務は完了することにした。まるで収穫のない尾行だった。私たちはどうも探偵には向いていないようだ。なんせ二人とも忍耐力がないし、飽きっぽい。したがってパトリックの謎な生態を解明する!という当初の情熱はあっさり跡形もなく消えさり、頭の中は夕飯何を食べよう???で一杯になっていた。
その後も何度も街でパトリックを見かけたが、結局一度も話すこともなく私はマドリードを出てしまった。
尾行をしたせいで何故か親近感が沸く。
今でもパトリックはマドリードの街を散歩しているのだろうか?
砂糖と11歳の誓い
私はコーヒーにミルクは入れるが砂糖は入れない派だ。
11歳の時にコーヒーに入れるのはミルクか砂糖のどちらか一つに決めなければならないとなぜか思い立ち、ミルクを選択したのだ。今思い返しても何故あの時ミルクか砂糖かの二択を自分に突きつけたのかまるで覚えていない。
ただ「コーヒー+ミルク」と「コーヒー+砂糖」を飲み比べて慎重に決断を下したことだけは鮮明に記憶している。
子供ながらに何か思うところがあったのだろう。
スペインではコーヒーに砂糖を入れるのは当たり前で、コーヒーのわきに添えられる砂糖の袋もビックサイズだ。人によっては一袋では物足りず二袋入れる人もいる。世界的に見てもコーヒーに砂糖を入れて甘くして飲む人の方が圧倒的に多いと思うのでコーヒーの飲み方としては砂糖入りが正しいのだろう。
したがって、スペインでコーヒーを頼むときに「砂糖いらない」と告げると一瞬怪訝な顔をされるのだが、私は11歳の時の自分の選択に忠実に生きているので今でも砂糖は入れない。
日本食レストランで働いていた頃、日本人の板さんがまかないでコーヒーゼリーを作ってくれたことがある。
11歳の誓いを守っている私はコーヒーゼリーに生クリームだけたらしガムシロップはあえてかけなかった。
「わーい!美味しいー!」とほほを緩めた私を横目で確認し、毒味完了とばかりに同僚のフィリピン人たちが食べ出したのだが、「にがっ!!なんじゃこりゃ!」と言ってまるで騙された被害者のような形相で私を睨んでくるのだ。
睨むなら私じゃなくて板さんを睨んでほしい。
「甘くないコーヒーなんてコーヒーじゃない。デザートなのに甘くないなんて信じられない!なんだこれは!薬かっ!」とそれはもう大不評であった。ガムシロ入れれば甘くなるよと教えてあげたのだが、詐欺軍団の手下扱いを受け「お前の言うことは信じられない」と一夜にして信用を無くしてしまった。
砂糖で思い出したが、スペイン人の友達にすき焼きが甘くて苦手だと言われたことがある。生卵が嫌だと言われる覚悟はしていたが、甘いから嫌だと言われるとは思ってもみなかったので驚いた。
「デザートなら甘くていいが、料理に砂糖を何故入れるのだ?」という彼女。確かに日本食はかなり頻繁に料理に砂糖を使う。料理の基本「さしすせそ」の「さ」が砂糖だもの。特に和食には必ずと言っていいほど砂糖が入っている。すき焼きも照り焼きも、煮物も。甘じょっぱい味付けは和食の王道なのだろう。寿司の酢飯にまで砂糖ががっつり入っているではないか!
しかし、生れた時から身近にある味付けの為なんの疑問も抱かずに今日まで生きていた。
それに引き換え、代表的なスペイン料理のレシピに砂糖の文字は刻まれない。スペイン料理の基本調味料は塩とオリーブオイル。プラスでニンニクやパプリカパウダー、トマト、ハーブなどだ。
しかし、メインの食事で糖分を摂取しない分デザートやコーヒーでがっつり糖分を補給することも決して忘れない。殺人級に甘いデザートが存在するのは必然だったのだ!
スペイン料理をたらふく食べた後に無性に甘ったるいコーヒーが飲みたくなるのもきっとこのせいだ。
しかし、コーヒーに砂糖に入れる時、私はなんだか後ろめたい気持ちになる。
11歳の誓いと甘いコーヒーの誘惑の間で揺れる乙女心。
意外と子供の頃の決意って人生を左右するのだなと考えさせられる瞬間であった。
占いとふたご座の男
日本人なら大抵の人が各血液型についてなんらかのイメージを抱いていると思うが、スペイン人は自分の血液型を知らない人がたくさんいるので血液型占いなんてものが存在しない。
したがって、スペインでは病院以外の場所で血液型が話題に上がることがあまりないのだが、たまに血液型の話題になるとRh+かRh-かとそこまで詳しく聞かれたりする。
なぜかと言うと日本人の血液型の割合では1%にも満たないRh-の型がスペインでは驚くくらい存在するのだ。
https://en.wikipedia.org/wiki/Blood_type_distribution_by_country
を参考に日本とスペインの割合だけ抜粋してみるとこうなる。
|
日本 |
スペイン |
A+ |
39.8% |
36% |
A- |
0.2% |
7% |
O+ |
29.9% |
35% |
O- |
0.15% |
9% |
B+ |
19.9% |
8% |
B- |
0.1% |
2% |
AB+ |
9.9% |
2.5% |
AB- |
0.05% |
0.5% |
なんと人口の18%にも当たる人がRh-なのだ!スペインに限らずRh-の血液はどうも欧米の白人に多いらしい。素朴な疑問だが、Rh+の人とRh-の人では性格が違ったりするのだろうか?
因みに、スペインに行って初めて知ったのだが、Rh-型の血液を持つ人が妊娠した場合、胎児がRh+型を持っていると色々な問題が発生するらしいので注意が必要のようだ。Rh-型の人があまり存在しない日本ではあまり話題にならない。
一度テレビでこの問題を解決できる特殊な抗体を持つ血液をオーストラリアのおじいちゃんが持っていて、60年間に輸血で200万人を救ったという感動秘話をやっていた。とても素晴らしいおじいちゃんである。
https://tabi-labo.com/151790/babies-alive-goldenarm
話は変わるが、スペインでもっともポピュラーな占いと言えば星座占いだろう。日本と同じように雑誌や新聞なんかにも12星座の占いが掲載されている。「何型?」とは聞かれなくても「何座?」とは聞かれるのである。
一度やたらとホロスコープ占星術に詳しいふたご座の男と出会ったことがある。
母性に溢れ家庭を大切にする星のもとに生まれたはずの私が婚期を逃し子供も産まずに一人で生きていることにその男はいたく興味を示し、生い立ちからスペインへ来るまでのいきさつなどを根掘り葉掘り聞いてきた。
しかし、生まれた時刻や生まれた場所などあらん限りの情報を私から摂取するとその男はあっとゆーまに私の前から姿をくらませたのである。
「なんとこんな例外もありました」的な番外編として私の情報は彼のホロスコープ占いに更新され私の役目は終わったようだ。
その後、私の持つ星の説明と普通のホロースコープ占星術よりもっと解読難儀ななんちゃら占星術のリンクが貼られているメールを一通頂いたが、難解すぎて何が言いたいのかまるで分らなかった。
私はそこまで占いを信じる女ではないが、この事件以来「ふたご座の男」が嫌いである。
そんな私でも昔は占いを信じていた。24歳で初めてお金を払って運勢を見てもらいに行った時「結婚は38歳」と断言された。24歳の娘にとって結婚が14年も先の事という占い結果は受け入れがたいものがあったので38歳より前に結婚したらどうなるのか?と詰め寄ってみたら「結婚してもいいけど、別れるんじゃないかな?でも38歳で運命の人と結婚できるから大丈夫だよ」と言い放たれた。ひょうひょうと言ってのける占い師の言葉をまんまと信じたわけではないが、31歳の時に見てもらった占い師にも「38歳で結婚」と言われたのでこれはもう間違いないと腹をくくりその上に胡坐をかいていた。
しかし運命の38歳という年齢を過ぎた今となっても私は結婚していない。
何事にも例外と言うものは起こりうるという事実を身をもって学んだ私ではあるが、今でも朝の星座占いが始まると一応自分の星座が出るまでチャンネルを変えられなかったりする。
コーンスープ
日本以外の国ではなかなか食べることが出来ない食べ物というものがいくつか存在するが、世界的な日本食ブームのおかげでスペインでも大抵の日本食は手に入るようになった。
しかし、思いもよらない物が手に入らなかったりすることがある。
ある日私はスペインのスーパーでその存在がないことに気が付いた。
その存在とは私の大好物コーンスープのことである。
日本でもおなじみのキャンベルの缶コーナーにコーンスープが置いていないのだ。
オニオンスープやクラムチャウダーはあるのにコーンスープだけがない。仕方がないので粉末タイプのスープコーナーへ移動して探してみるが、やっぱりどこにも見当たらない。レストランでも多くの種類のスープやボタージュがある中、コーンスープだけはどこの店でも見つからない。
本場のアメリカじゃないからここでは見つからないのかな?と思っていたのだが、調べてみるとアメリカが本場というわけでもないらしい。コーンポタージュとも呼ぶのでポタージュと言えばフランスかな?とも思ったがフランスでもない。
なんとびっくりなことにコーンスープの本場は日本らしい!洋食なのでてっきり外国の食べ物だと思い込んでいた。日本では自動販売機でも買えるぐらい国民の生活に根強く浸透しているが、コーンスープが日本以外では食されていないという事実を知る人は意外と少ないのではないだろうか?
カレーライスやナポリタンぐらい声高に主張してほしいものである。
もしコーンスープがなければ生きてゆけないような人がいるのであれば、海外ではまず遭遇できないという事だけ肝に銘じておいて欲しい。
ないのなら 作ってみせよう コーンスープ
カレールーがないとカレーが作れない私だが、コーンスープはコーンスープの素がなくても美味しく作れる自信がある!材料もスペインで簡単に手に入るものだけなのでお手軽だ。
母のレシピと幼馴染のお母さんのレシピを合わせて自分流に勝手に改良した最高レシピがあるのだが、クックパッドで検索したら似たようなレシピがわんさか出てきた。料理が得意なわけでもないのに最高レシピなどと調子に乗った私が悪い。
「オリジナルレシピです。てへ♡」なんて人に自慢しなくてよかった。
しかし、美味しくできれば誰のレシピでも構わない。
私の腕が相当いいのか、このスープを食したスペイン人は誰もかれも大絶賛であった。これがきっかけでスペインでもコーンスープブームがくればいいと思っていたが、未だにブームは来ていない。
私の絶品コーンスープでなくても、日本でコーンスープを一度でも食べたことのあるスペイン人は皆一様に美味しいと言う。バスク地方から新婚旅行で日本を訪れた知り合いに何が一番美味しかったかと尋ねたら「朝食に出てきたコーンスープ」と答えていたぐらいだ。あの美食で有名なバスクの人が美味しいというのだから間違いない。
コーンスープに限らず、日本のオリジナル洋食のクオリティーはとても高いのに海外では日本食と言えばすしを中心とした和食ばかりなのは残念だ。まぁ、そんなことを言ったら日本もスペイン料理と言えばパエージャばかりなのでどっちもどっちか。
その国に行かなければ食べることが出来ないものがあるからこそ旅をする意義があるってものである。
ハイスペックG
語学学校の先生とG(ゴ〇ブ〇)の話になったのでGへの憎悪を熱く語ったのだが、いまいち共感を得なかったのでここに書き留めてみる。
ある日の授業中、Gの話題になった。
Gはスペイン語でCucaracha クカラチャ。(スペイン語にするとスペルの最初の文字がGではないのが残念だ) 私があいつへの憎悪を熱く語っていると
「気持ちの良い虫ではないのは十分承知だが、なにもそこまで憎悪しなくてもいいではないか」などと生ぬるいことを先生が言ってくる。あの気持ちの悪い物体が壁を登って飛んできたりするのは恐怖でしかないし、すばしっこくてなかなか始末できない最強の害虫が憎悪に値しないとは一体どこまで心優しいんだスペイン人!と一瞬己の心の狭さを反省しそうになったが、いやいやいや、やっぱり無理だ。Gを見つけたら最後、あやつの息の根を止めるまで仁義なき戦いは続くのだ!と息巻いて反撃すると
「ってか、Gは飛ばないでしょ!やっぱり他の虫と勘違いしているんじゃないの?」と言う先生。
な、な、なんと!スペインのGは飛ばないのか!?しかも動きもそんなに言うほど素早くないらしい。
実際、スペインのGはちょろかった。まず、Gとしての自覚が足りない。Gたるもの人間の気配を感じたら素早く隠れるのが基本中の基本だと思うのだが、スペインのGは隠れる動作が鈍い。隠れ方も雑だし「人間に見つかる=殺される」という危機感をまるで持ち合わせていないように見受けられる。
日本で人間に見つかるという事はGにとって死に値する。見つかった当の本人はもちろんのこと、一家一族皆殺しの大惨事を招くことにもなりうる。日本人との終わりのない戦いに勝つべく日本のGは著しい進化を遂げたのだ。ハイスペックGとなった日本のGとスペインのGではもはや同じ土俵で語ってはいけない程の差ができているのだ。
しかも、スペインには陽気なメロディで歌われるGの歌まである。日本のGが聞いたらきっと羨ましくてたまらないだろう。生まれた場所が違うだけでこんなに待遇が違うなんてGにとっても世の中というものは世知辛い。
もし万が一、来世でGに生まれ変わるような事態になったとしたらせめてスペインのGになりたいと神様に頼んでみようと思う。
Gと同じく、日本で独自に進化したのがカラスだと思う。スペインでは街中でカラスをほぼ見かけない。
「カラス なぜなくの カラスは山に~」と童謡で習ったように、カラスは普通山に居るのだ。「カラスの勝手でしょ~」と志村けんが替え歌をしたおかげですっかりカラスの生息地を忘れていたが本来は街ではなく山に居るべき生き物なのだ。
スペインのカラスはきちんと本来の生息地を守り山に居る。街ではなかなか見かけないのでスペイン人はカラスの生態を知らない。
車が走る道路にクルミをわざと落として車にひかせて中身を食べるなんてことをするし、いじめた人の顔を覚えて仕返ししたりするぐらい日本のカラスは頭がいいのだよとスペイン人に教えてあげたらみんなびっくりしていた。
「日本はカラスまで頭がいいのか」と褒められて私もまんざらではない。
ハイスペックGとハイスペックカラスがいる日本って最強だな。と無意味に得意げになる昼下がりであった。
シャナドゥー
マドリードの南西の郊外にシャナドゥーという名の巨大ショッピングモールがある。
スペインのショッピングモールというものは良くも悪くも、どの地域でもなんら代わり映えしない代物が多いのだが、シャナドゥーには決定的な違いがある。
それは「人工スキー場」が併設されているという点だ。
「人工スキー場」と言えば「ザウス」を思い出す。千葉県の船橋に1993年から2002年まであった人工スキー場。10年ほどしか営業していなかったそうだが、私の記憶ではもっと長い間その場に君臨していたようなイメージがある。バブル崩壊後とはいえ世の中はまだまだバブルの余韻で浮かれていた頃で、スキー人気に加えスノーボードブームが到来していた。ご多分に漏れずミーハーな私はスノボーに手を出していた頃だ。
一度行ったことがあるが、強気な料金設定とコースの単調さに腹を立て、人の多さに事故寸前で引き揚げた記憶しか残っていない。
もう少し余裕のある大人になってから出直そうと思ったが、結局二度と戻らぬまま閉館してしまった。
スペインでは全体的に冬のスポーツの人気が低い。したがって、冬季オリンピックはあまり盛り上がらない。テレビではオリンピックそっちのけで国内リーグのサッカーの話題ばかりだ。
冬季オリンピックがあまりにも話題にならない為、スペイン滞在中の10年間に開催された冬季オリンピックの記憶のほとんどは後から見た日本のニュースのダイジェストが元になっている。これを私は「私の中の失われた10年」と呼んでいる。トリノの荒川静香や、バンクーバーの浅田真央、ソチの羽生結弦も全部生中継では見ていない。スペインにもハビエル・フェルナンデスというスペインが世界に誇るフィギュアスケート選手がいるのにいまいち盛り上がらないのはなぜなのか?冬季オリンピック開催時にスペインで見たオリンピック関連のニュースで一番覚えているのはスキージャンプの選手の板がロストバゲージ被害に遭い、他の選手の板を借りて試合に臨んだというニュースだけだ。
冬スポーツの人気が低い割にマドリードの人口スキー場は比較的繁盛している。奇しくも日本のザウスが閉館した翌年の2003年にこのシャナドゥーはオープンしたらしいが、2021年の今に至るまで潰れぬまま健在している。
ゲレンデの様子がガラス張りの窓から見える造りになっているのがポイントだろう。大型ショッピングモールに併設しているのでスキーに興味がない人もついつい中を覗いてしまうのだ。したがって窓際はいつもゲレンデを凝視する人々に占領されている。
子供や初心者向けのクラスなども開講しているようで、中を見た子供たちは「私もやりたい~」と親にねだりだす。経営陣の思うつぼ。商売戦略の勝利である。
スノボーをし、ご飯を食べ、買い物をして映画まで見ることができる。一日フルコースが全て一つのショッピングモールの中で完結するのだ。
スキー場は割引クーポンなども出回っており比較的お手頃な金額でスキーを楽しむことができる。全てレンタル可能なので手ぶらで行けるのも魅力的。
スノボーに初挑戦したいという友達がいたので試しに一度行ってみたが、なかなかよかった。
全長は250メートルで若干物足りないが、ちょっと試すにはもってこいだ。窓越しで見ていたより実際は人がまばらで追突事故も起こらないし、並ばずすぐにリフトに乗れる。
雪があまり降らないマドリードでこんなに手軽に雪と戯れられるのは貴重だ。
そういえば今年の1月にはマドリードで珍しく大雪が降ったのだが、友達から送られてくる写真はどれもみな浮かれていた。道でスキーをやる若者や広場で大雪合戦が繰り広げられ、雪と戯れるために老いも若きもぞろぞろとみんなが家から出てきて小学生並みのはしゃぎっぷりで雪を満喫していた。
異常気象までも楽しむところがスペインらしい所だ。